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【連載小説】 硫黄島ダイアリー 第三章『SALUTE』2話

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筆者三辻孝明さんは、昨年の2019年8月に癌の告知を受けました。三辻さんは以後、自然療法や抗癌剤治療を経て、癌の摘出手術を受けた10ヶ月間、「静かに死を見つめながら、久しぶりに文章を残すことができました」と話しています。また「レポートに毛の生えたようなものですが、過去の自分自身の経験を形にできたことは少し肩の荷が降りたような気持ちです。よろしければ、ご一読ください」と語っていました。

そして2020年7月16日に当「硫黄島ダイアリー」の連鎖がスタートすることになりましたが、翌月の8月10日、残念ながら三辻孝明さんは帰らぬ人となってしまいました。

闘病生活中に死を見つめながら書き上げられた当連載「硫黄島ダイアリー」ですが、生前の故人の遺志を受け継ぎ、パースエクスプレスでは当連載を継続掲載致します。読者やユーザーの皆様には、引き続き「硫黄島ダイアリー」をご愛読頂けると幸いです。

<第三章『SALUTE』1話はこちらから>
 
 

 
【連載小説】

硫黄島ダイアリー

三辻孝明

 

第三章『SALUTE』2話


 
 先日、二宮に参りました。釜野の辺りの様子もまるで外国に来たようで、昔の面影はどこにもありませんでした。蛇に怯えながら歩いた畔道や田んぼも2階建ての洋館が立ち並び、写真館から見えた相模湾の景色も砂浜にできた自動車道路がふさいでしまい、何も見えなくなっておりました。自分の両親は20年ほど前に相次いで亡くなり、兄は終戦後にシベリアに抑留されてそこの収容所で、飢えと寒さのために衰弱死を遂げ、興銀に通っておりました姉は終戦の年の6月に国府津駅で停車中の列車に乗車中、米軍の戦闘機による機銃掃射を受けて死亡したそうであります。雪絵先生の家は、昔のまま東海道沿いに見つかりましたが、屋号が他の方のものに代わっておりました。いつまでもこのように現世に出入りしながら、あなたに甘えているわけにはいかないことは分かっております。戦争に敗れ、多くの知人、友人、また家族はすでにこの世にはおらず、自分としてもけじめを一刻も早くつけなければと思っております。

 これは明け方に見た夢の中の話である。一年近く会わないままだったサカマキヨシ少年は、目の前のイスに腰掛けながら背筋を伸ばして、彼らしく織り目の正しい言葉を紡いでいた。目を閉じているはずの自分が、夢の中では鮮明にそれを眺めている。夢なのか現実なのかがわからないままに、彼の言葉を頭の中で反芻しているうちに目を開けると見慣れた天井の染みが見えてきた。表はすでにすっかり明るくなって、窓の下の枝でスズメの群れが騒がしく鳴き騒いでいる。そのまま布団の中で少しの間じっとしていると、誰かがドアをノックしている音が聞こえ始めた。急いでセーターを着て玄関に出ると、そこには下に住んでいる管理人のおじさんがいつものねずみ色の作業着に手箒を持ったまま立っていた。

「先日、警察の方が2度見えられましたよ。」
「警察の方?」
「ええ、例のお隣さんのことで、何か調べている様子でしたよ。おたく、最近ずっと見えなかったから。」
「昨日までひと月ほど九州に出張して、手伝いの仕事をしていたので。」
「そうですか。とにかく連絡をしてほしいって、手川さんって言ってたかな、ただそれだけ言い残して帰って行かれましたよ。」

 渡された名刺には麻布署の刑事の名前が入っていた。

 起き抜けのまだはっきり覚めない頭の中を、2つの事実が回転し始めている。一つはキヨシ少年で、いつの間にか本の中から抜け出して、僕の知らないうちに二宮町を訪ねていたらしい。本当は硫黄島から戻ったらすぐに自分が訪ねなければいけないと思っていたから、彼に先を越されてしまったことですまないという気持ちと、近々にも二宮を訪ねなければという焦りにも似た思いが、胸の中に広がっていた。もう一つは、麻布署の手川と名乗る刑事のことだった。あの晩のゴタゴタのことを調べているらしいが、今の自分に、捜査に協力できるような隣のスキンヘッドとの関係や新しい情報は何も思い当たらないのだった。隣人とはボツ交渉だったのだから、何も話すことがないのは仕方のないことだったのだけれども、この件は相手が警察だから無視するわけにもいかないだろうし、憂鬱に感じたけれども、一刻も早く終わらせた方がいいに違いないことはわかっていた。

 それでもやはり僕は警察には近づきたくなかった。理由は高校生の頃、部活が終わって自転車での帰り道、何度も止められて自転車の窃盗犯扱いされた経験が心に癒えない傷になって残っていたからだった。だから制服を着て上からものを言うような警察官を好きになることは決してなかったし、島で自衛官に抱いたような親近感を持つようなこともなかった。

 そして、その日の昼に訪ねた麻布署の刑事は、制服こそ着てはいなかったけれども、初めから何だか暗い感じの人だった。手川というその中年のやせた刑事は、増田屋からのカツ丼の出前を自分の分だけ頼んで別の部屋で昼食を済ませてから、散々待たされた後でまた僕の向かいに座り直すと調書を書き始めた。

 その日、刑事が何回も質問したことは次の2つだった。ひとつは、どうして隣人宅に飛び込んでまで被害者を助け出そうとしたのか。その動機の説明。もうひとつは、部屋の中に怪我をした被害者の女性と加害者と思われる男性2名がいた(正確にはひとりは入れ違いになった)にもかかわらず、その後に警察に届け出なかった理由。刑事は鉛筆を削り終わると、顔を上げた。

「それじゃもう一度繰り返しますが、あなたが隣人宅に踏み込んだ動機は事件のあった当日、神奈川県川崎市内の建設現場で偶然別れた妻と出会ったことが原因となり、その際、久しぶりに会った元妻の様子に何の未練も伺えなかったことから不快な気持ちが鬱積していたところ、夜間、隣宅の物音で安眠を妨害され、午前3時近くになっても静かにならない隣宅の様子に腹を立て、警察の名を語って糾弾すべく、踏み込んで行った。とまあ、こういうことでよろしいでしょうか?」
「確かにあの日、偶然出会った元妻の、何もなかったっかのように去っていってしまう後ろ姿を見送った後は、いい気持ちではありませんでした。それで夕方からビールを飲んだり、サウナに行ったりしたのかもしれません。」

 でも、こんなやりとりは何かまるで僕が犯罪を犯したような調書みたいですね、と冗談を口にしてみたが、痩せた表情の手川刑事は決して笑い返してはくれなかった。

「それじゃ被害者の女性が供述しているところの、自分を助けるために単身飛び込んで来たということについても、もう一度お話していただけますか?」

この質問も、今日もう何回答えたか知れなかった。

「理由は女性の叫ぶような大声を聞いたから、反射的に飛び込んでいったのです。」 
「そして、それは人命を救助する目的でしたわけではなかったのですね?」
「本当にあの時は何も考えていませんでした。寝ているところを邪魔されたイライラもあって何か思い切り暴れたかった気持ちが強かったように記憶しています。」
「では、別に相手は誰でもよかった。たまたま、隣が騒がしかったから思い切り暴れたくて飛び込んでみたら、偶然、被害者が怪我をしてそこにいた。ということになりますが、それでよろしいのですか?」

 僕はもうずいぶん前のことなので、あの晩どんな気持ちで行動していたのかを今ここで細かく思いだせと言われても、もう難しいですよと答えた。

「それでは最後の質問ですが、被害者の女性が怪我をしていた、衣服も相当乱れていたにもかかわらず、警察、あるいは救急車等に連絡を怠った理由をもう一度説明してください。」

 連絡を怠ったこと?僕はこんな会話を繰り返していることに、本当に腹が立っていた。目の前の昆虫のような痩せた刑事の手にかかって、自分があの時の気持ちを正直に伝えようとすればするほど、文章に残される記述がどんどん違う方にいってしまうように思えて仕方がなかったのだ。

「だって刑事さん、そんなこと言われても被害者の女性は逃げてしまったのですから、誰もいないのに救急車を呼んだってしょうがないでしょう。それに、冷静に考えてみてくださいよ、全然親しくもない隣人の痴話げんか、夫婦げんかのようなものかもしれないとも思えるじゃないですか。誰だってそんなことに深入りしたいとは思わないから、警察に連絡はしなかったのも、この街では普通のことなんじゃないでしょうか。」

 少し強く出てみたのだけれども、手川刑事の方にひるむ様子は微塵も見えない。

「あの晩の状況は分かりました。それでは、あなた自身の動機をもう一度聞かせてください。」
「ですから、あの晩は元妻と偶然会ってしまったこともあり、ビールを寝しなに結構飲んでいたので、結局、最後はどこかに連絡したりすることも面倒臭くなってしまったと、さっきからもう何回も話しているじゃないですか。」

 その時、刑事はやおら立ち上がると引き出しからビニール袋に入ったストローを取り出した。

「これ奥の部屋に残されていたものです。それから今ここにはありませんが、耐熱ガラスのパイプ、吸引具もありました。あなたが部屋に入った時、それもご覧になったのではありませんか?」
「あなたは、それらの道具が何に使われていたかご存知でしたか?何に使うものかを、あなたは知っていたのではありませんか?耐熱ガラスのパイプも、ストローも覚醒剤の吸引具だということをあなたはちゃんと知っていた。違いますか?」
「質問を変えましょうか。三辻さん、覚醒剤はこの国では合法でしょうか?」
「いえ。」
「それが分かっていて、警察に連絡をしなかった理由が、ビールを飲んでいたから、面倒くさかったからだけでは、先程から申し上げておりますようにこちらも決して納得ができないのですよ。」

 刑事は引き出しから写真を取り出した。そして、この中で知っている人間がいたら正直に教えてくださいと念を押した。最初の写真に写っていたのはスキンヘッドだった。2枚目の写真にはあの晩、白いブラウスを着て台所にしゃがんでいた外国人の女性が写っていた。そのように伝えると刑事も納得したようにまたうなずいて返した。3枚目の写真は、金髪のメガネをかけた白人の女性だった。正真正銘、会ったことのない人だった。

「これから2枚の写真をご覧にいれます。この中にあの晩、三辻さんを玄関先で突き飛ばして逃げた男がいたら教えてください。」

 刑事は机の上に2枚の写真を並べた。ひとりは、スポーツシャツを着た40歳くらいの男。あの晩、体当たりして飛び出して行った男に見えないこともなかった。そして、最後の一枚の写真には、あろうことか硫黄島の珍蔵が写っていたのである。

 


 

三辻 孝明(みつじたかあき)
「CUBE IT AUSTRALIA」のCEO(最高経営責任者)。早稲田大学人間科学部環境科学科卒業。1989年より豪州在住。2020年8月10日永眠。

 
 
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