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【連載小説】 硫黄島ダイアリー 第三章『SALUTE』1話

筆者三辻孝明さんは、昨年の2019年8月に癌の告知を受けました。三辻さんは以後、自然療法や抗癌剤治療を経て、癌の摘出手術を受けた10ヶ月間、「静かに死を見つめながら、久しぶりに文章を残すことができました」と話しています。また「レポートに毛の生えたようなものですが、過去の自分自身の経験を形にできたことは少し肩の荷が降りたような気持ちです。よろしければ、ご一読ください」と語っていました。

そして2020年7月16日に当「硫黄島ダイアリー」の連鎖がスタートすることになりましたが、翌月の8月10日、残念ながら三辻孝明さんは帰らぬ人となってしまいました。

闘病生活中に死を見つめながら書き上げられた当連載「硫黄島ダイアリー」ですが、生前の故人の遺志を受け継ぎ、パースエクスプレスでは当連載を継続掲載致します。読者やユーザーの皆様には、引き続き「硫黄島ダイアリー」をご愛読頂けると幸いです。

<第二章『ROSEMARY & SHARON』6話はこちらから>
 
 

 
【連載小説】

硫黄島ダイアリー

三辻孝明

 

第三章『SALUTE』1話


 
 SALUTE、スペイン語で乾杯、英語では敬礼の意味である。

 スペイン語、英語、いずれの名前なのかわからないけれども、その船の名前はSALUTEという。横浜の本牧ふ頭に係留されているクルーザーの中では、50フィートということで中ぐらいの大きさらしい。オーナーは荒崎興業で、建設機械のリースを行っている。

 珍蔵はいつものように甲板の清掃を終えると、ドアを開けて船内に降りていった。船室に降りる階段から下をのぞくと、楕円形に向き合うラウンジソファの奥にキングサイズのベッドが見える。ベッドの裾に脱ぎ捨てられた服が散らばり、マットレスの上には男と女の裸の足が絡み合っている。珍蔵は寝室のふたりが眠っていることを確かめてから足音を立てないようにデッキに戻ると、ドアの外側から鍵をかけ、いつものように桟橋を通って本牧の街まで買い物に出る。

 珍蔵がこの船に通うようになって、半年が過ぎようとしている。週に3回、食料を調達することと、船の内外を清掃することが、ここでの彼の仕事だ。簡単な仕事なのだが、その中には船に籠城する男を監視する役割も含まれていることが、後になってわかってきた。初めのうちこそ男はおとなしくしてくれていたものの、ひと月も経たないうちに本来の自分勝手で貪欲な性格を現してしまい、ここ数日も関内のCIRCUSという外人に人気のあるクラブで親しくなったアメリカ人ダンサーを船に連れ込んでは、奔放な時間を過ごしていた。一体、男はいつまでここに隠れているつもりなのだろう。男がここに来て以来、クルーザーは一度も外洋に出てはいない。聞いたところでは、購入した一昨年あたりは外洋まで頻繁に出ていたらしいが、この一年は日帰りで東京湾を流す程度で、そのほとんどが男のための海に浮かぶアパートとして桟橋に係留されている。

 この船の持ち主で社長の荒崎功治は今年45才、大学を卒業し10年間を大手商社で過ごし、33歳の時に予定通り父親の会社である荒崎興業に入社した。荒崎功治は荒崎興業に入ると同時に、それまで神奈川県内に建設機械をリースしていた会社の方針を、在日米軍基地を軸に、全国に点在する米軍への車両のリースを行う会社へとシフトしていった。もちろん入札を経ての受注になるわけだから、100%というわけにはいかなかったけれども、商社時代のコネクションがものをいい、特に僻地での仕事の受注率が高かった。硫黄島もそのひとつで、彼の功績により荒崎興業はこの10年の間に倍の規模の売り上げをほこる中堅の重機リース会社に成長を遂げたのである。

 そんな中で2年前に、社長自らが望んでクルーザーを購入したのだった。荒崎功治という人間は、普段から事業のこと以外ほとんど他に興味を示したことのない男だったので、はじめにその話を聞いた社員は一様にみな驚いたようだった。けれどもクルーザーを手に入れてみると船を通して新たな人脈が広がり、会社の業績もそれに比例するように再び伸び始めたのである。

 珍蔵はクルーではなかったから、社長と実際に航海に出た経験はない。もうひとつ、珍蔵には潜水士という経歴が含まれている。荒崎興業に就職する3年前までは潜水士をしていた。潜水士とは趣味で潜るスキューバダイバーとは違い、厳冬のダム工事現場などでの水中溶接作業や、水面下でのエアラインを使った船体の清掃作業など、水中での特殊作業を行う職業だった。長く潜水士を続けるうちに珍蔵はそこで水圧の影響から耳を悪くしたようで、最近は大型特殊の運転手を職業としていると履歴書には記されている。ただ、社内のうわさでは、山城珍蔵は元広域暴力団の構成員だったらしい。珍蔵を荒崎興業に紹介した人物も、この本牧ふ頭に別のクルーザーを係留しているどこかの組の幹部だといううわさだった。

 珍蔵が社長に呼び出されたのは、7月の終わりの日曜日のことだった。久里浜のアパートから追浜にある本社までは、道がすいていれば車で30分とはかからない。だが、7月に入り海水浴シーズンが始まった今は、このあたりは大変な交通渋滞になり、下手をすると普段の3倍の時間は覚悟しなければならなかった。約束の時間に30分近く遅れて珍蔵が本社に顔を出すと、荒崎功治は遅刻を気にする様子もなく、応接室のドアを開けたままビールを飲んでいるところだった。日曜日の本社に人の影はなかった。机と椅子の並ぶ無人のオフィスに、テレックスとファックスを受信する機械音だけが響いている。中に入りドアを閉めた珍蔵は、向かいのソファに腰をおろした。社長とふたりきりで話をするのは、今回が確か2度目だった。

「休みのところ、すまないね。」

 社長に進められダンヒルの煙草に火をつけた珍蔵は、クルーザーの管理状態と男の素行について聞かれるままに話し始めた。荒崎功治は珍蔵にもビールをすすめながら、自分自身もハイネケンをグラスに注いだ。

「日曜だけ空調を停めるとね、月曜の午前中いっぱい蒸し風呂になってしまうんだよ。だから休日もこうして回しているんだがね、まあ、もったいないといえばその通りだけど、最近の建物は窓が開かないしね。便利になったようで昔の方が良かったということもあるんだね。」

 オフィスの中は程よくエアコンが効いていて、確かにこんな真夏日には居心地のいい場所だった。

 やがて社長は少し声を落とした。

「君、潜れるんだってね?」

 社長は珍蔵の過去を聞いているようだった。

「本牧ふ頭の辺りだと結構深いわけ?」
「コンテナ船が入るくらいやから、20mはあると思います。」
「20mは潜るのに難しいの?いや、なに、君が潜るとしたらなんだけどね。」
「潜るだけやったら50mでも問題ありませんが、水中で作業をする場合、水の透明度と潮の流れによってえらい左右されますから。でもまあ、本牧あたりやったら問題ないんとちゃいますか。」
「君は埠頭の水中溶接をしていたと聞いているけど、それはやはり本牧のようなところだったのかな?」
「まあ、アークはどこでも似たようなもんです。最後に潜った時は夜やったから、アークの青白い閃光がきれいでしたわ。」
「そうか、水中溶接はアークって呼ぶのか、これはひとつ勉強になったな。」
「ええ、アーク言うとります、仲間内では。」
「やはりボンベを背負って潜るのかい?」
「いや、桟橋とか橋桁なんかは、たいていラインで潜りますよ。」
「ラインということは、つまり上からパイプで酸素を送ってもらうわけだね?」
「そうです。」
「ラインとボンベはどんなときに使い分けるのかな?」
「いくら固定作業でも、深いところはボンベじゃないと無理ですからね。」
「例えばの話、うちの船の係留しているような辺りだと?」
「まあ、ラインだと大掛かりやし、普通はボンベで十分です。」

 それからはまた雑談になり、ふたりでもう一本ずつハイネケンを空けてから、最後に来月外洋に船を出すことになるからそのつもりでいてほしいと言われた。

「男はどうされます?」
「その時にはあいつも退屈しているだろうし、連れて行ってやろうと思う。」

 社長はくだけた調子で答えた。帰り際に封筒を渡された。階段を降りながら、封筒の中身が現金であることを確かめた珍蔵は、表に出て熱風の中をクーラーの壊れたライトバンに乗りこんだ。サウナのような車内に入り、急いで窓を開け、ビニールの椅子でやけどをしないよう、腰を浮かせるようにしてエンジンをかけた。

 久里浜のアパートに戻った時には、5時を過ぎていた。西側に面した畳の部屋の窓を開け、斜めに差し込む強い日差しを浴びながら扇風機を回した。台所に行き冷蔵庫から缶ビールを出して、上半身裸になりながらあまり冷えていないビールを一気に飲み干した。ビールを体に入れたためにかえって汗が噴出してしまい、さっきまでのひんやりした荒崎興業のオフィスを思い出しながら、珍蔵は何度も舌打ちをくりかえした。そして、お膳に肘をつきながら、最後に話をした時の男の様子を思い出していた。

 男は冗談とも本気ともつかない話を繰返していた。それは、あるアメリカの俳優の病気のことだった。マイケル・ダグラスというその俳優は、当時もう60を過ぎていたが、毎日性交渉を持たないと発狂してしまうという何十万人に一人といわれる奇病にかかっているのだそうだった。そのためかどうかその男優は、キャサリン・ゼタジョーンズという娘ほどに年の離れた肉感的な女優と一緒に暮らしていた。男は自分自身をその俳優になぞらえて女の話をくりかえした。

「俺もたぶん同じ病気にかかっている。」

 そして、男はひとりの女の名前を挙げた。それは外国人の女だった。

「忘れられない体だった。」
「ふーん、で、その女は今どこにおるんじゃい?」
「東京よ。」
「それで、その女を見つけて兄貴は一体どうするつもりなんじゃ?」
「調教するに決まってるだろうが。粉まみれにしてよ。」
「兄貴は心底悪党やな。今どきそんな荒っぽいことするやつは、ようおらんで。まあ、女が出てきたらこの話の続きは聞かせてもらいますわ。」

 珍蔵がそう言うと男は少しむきになったようだった。

「ばかやろう、お前に心配してもらわなくても、もう手はちゃんと打ってある。」
「でも、ずっとここにいてどうやって手を回せるかや?」

 男はまあ見てろやと言ったまま、その先は用心しているのかもう女のことは口にしなかった。

 男は珍蔵がここに連れてきたわけではなかった。珍蔵がここの仕事に回された時に、すでに男はSALUTEで暮らしていたのである。考えてみれば、むしろ、その男の世話をするためにのみ、珍蔵はこの数年出入りを繰り返している荒崎興業に再び採用されたといってよかった。珍蔵は時間が経っても名を名乗ろうとしない男の氏名を、まだ知らない。ただ男には前があり、最近では組の関係者でもよほどの事情がない限り、めったなことでは当事者をかくまうようなことはしないのに、荒崎興業の社長はあえてそれをしていることが不自然に思えた。問題を起こした組員には、せいぜいが「関東ところ払い」を通達して、警察にも、他の組織にも、自分たちとは関係がなくなったことを宣言するのが関の山の昨今の通り相場だったからだ。別の言い方をすれば、義理人情の薄れたこの頃では、構成員の犯罪者は要するにほとぼりが冷めるまでは、昔とは違い自分のことは自分で処さねばならないということのようだった。それに男は今どきの構成員には珍しく、珍蔵が見たところでは覚醒剤を常用している。珍蔵が2月に硫黄島に行った理由も、男にしつこく勧められてシャブをつき合っているうちに、幻覚が見えるところまできてしまったからのことだった。

 そういえば、あの時のガキは今どうしているのだろう。珍蔵は、ふと三辻孝明のことを思い出す。あのガキの忠告を聞いたわけではないが、島から戻ってからの珍蔵は、男からのシャブの誘いには一回も応じていない。たぶん社長の方からも、普段の素行について少し男に話してくれた様で、最近ではしつこく誘われることもなくなっている。

「いつまでこんな暮らしが続くのだろう、、、」

 日が翳ってきたようだった。少し涼しい風が出てきたので、珍蔵はゆっくりと重い腰を上げた。冷蔵庫からビールをもう一缶取り出してみた。あまり冷えてはいなかったが、もう気にはならなかった。

 


 

三辻 孝明(みつじたかあき)
「CUBE IT AUSTRALIA」のCEO(最高経営責任者)。早稲田大学人間科学部環境科学科卒業。1989年より豪州在住。2020年8月10日永眠。

 
 
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