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【連載小説】 硫黄島ダイアリー 第一章『硫黄島』1話

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筆者三辻孝明さんは、昨年の2019年8月に癌の告知を受けました。三辻さんは以後、自然療法や抗癌剤治療を経て、癌の摘出手術を受けた10ヶ月間、「静かに死を見つめながら、久しぶりに文章を残すことができました」と話しています。そして「レポートに毛の生えたようなものですが、過去の自分自身の経験を形にできたことは少し肩の荷が降りたような気持ちです。よろしければ、ご一読ください」と。

当ウェブサイトにて連載小説「硫黄島ダイアリー」として掲載を始めます。今回がその初回となります。
 
 

 
【連載小説】

硫黄島ダイアリー

三辻孝明

 

第一章『硫黄島』1話

 僕は夢でも見ていたのだろうか。

 誰もいない深夜の食堂。
 片方が切れてまばたきを繰り返す蛍光灯のあかりと、その食堂を包むように聞こえる潮騒。
 さっきまで自分が書いていたものらしい、アルミのテーブルに置かれた便箋の上の文字。
 読み返してため息が出る。
 これがこんな最果ての島にまで来て、自分がたどり着いた答えだったのか。
 何か全然ちがう気がする。
 いや、絶対違うなと思う。
 出来ることならもう一度書き直したい。
 でも、人生という名の便箋はひとりに一枚ずつしか配られていない。

 1989年、年号が昭和から平成に代わったあの年、僕は硫黄島にいた。島は荒れたところだった。太平洋戦争の際の死傷者は45,000人。水場がないため鳥がいない。その代わりに赤黒いムカデや黄褐色のさそりが島じゅうに生息していた。実は、島に来る前日、つまり昨日の午後、久里浜にある三浦興業で僕は面接を受け、その場で採用となったのだった。急な話だけれど来れますか、行く先はマーカスになりますと言われ、今朝、航空自衛隊の入間基地正門前に集合したのだった。その頃の僕は生活に困窮し、借りていたアパートの家賃も払えないまま、お金を稼ぎたい一心でこの面接を受けたのだった。喫茶店のアルバイト募集のようなその簡単な面接で分かったことは、三浦興業という会社が鹿島建設の下請けの一つで、南鳥島と硫黄島の現場の手配を任されていることと、今朝のマーカス行きの同行者が僕の他に2人いるらしいことだった。そしてもう一つ、入間基地から僕を乗せたC130輸送機はマーカスにではなく、防衛大生のグループと共に硫黄島に向かったのだった。

 「幽霊は湿気の多いところに出やすいので、風呂場は宿舎から離れた場所に建っています。亡くなった兵隊の中には、まだ戦争が終わったことを知らん者も多いわけですから。」
 「幽霊?」

 それが島に着いた最初に僕を待っていた言葉だった。案内された宿舎の前で鹿島建設の現場監督は表情を変えずに続けた。

 「風呂は今のうちに、明るいうちに入っておいた方が無難です。暗くなってから行くには勇気のいる場所なんでね。あとサンダルはだめですよ、音について来ちゃいますから。」
 「音についてくるって何が、、、ですか?」
 「あのね、ちゃんと話、聞いててくださいよ、だから兵隊さんの幽霊ですよ。」

 これから使うことになるという宿舎の部屋は相部屋で、お膳も押し入れもない、裸電球の下に布団が積んであるだけの8畳間だった。2月だというのに、閉め切った部屋の中は蒸し風呂のように暑い。

 「エアコンはないんですか?」

 ここに来る途中、鹿島建設の社員宿舎の方には、確かに部屋の窓にエアコンが付いていた。それに昨日の面接での話では、寮はエアコン完備の個室で、月収60万円保証という条件のはずだった。

 「暑かったら、窓開けてくださいよ。ここはホテルじゃないんだし、今からそんなこと言ってると、夏になったらたまらないですよ。」

 初めからつまずいた感じがした。この粗末な部屋と食費で、毎月17万円が天引きされてしまうことも、現場監督からここで知らされた。しかも60万円とは日当2万円を30日休みなく働いた時の金額で、雨が降ったら仕事はないので、だいたい月40万くらいが平均の収入だということだった。そしてそこから17万を天引きされてしまうと、手取りは20万ちょっとにしかならないことになる。その金額はバブルの頃の内地では、1ヶ月働けばおおよそどこでももらえる相場だったから、そうなるとなんでわざわざ硫黄島まで来たのかがわからなくなってしまう。いくら入間基地から食料や水を運んできているとはいえ、離島の食費がこんなに高くつくという話は、僕の方からたずねなかったとはいえ、昨日の説明では一切出なかった。

 「うちのせいじゃないですよ、三浦興業さんの方で17万って決めてるって聞いてますけど。」

 何も言わない僕に現場監督が言い訳のような言葉を並べている。

 ここの宿舎や風呂場のあるあたりを南部落と呼ぶ。上陸したアメリカ海兵隊と千田旅団が最後の戦闘を繰り広げたところということだった。宿舎から振り返ると海兵隊が上陸した目の前の二ッ根浜から島の外れのすりばち山までがひとつの線上に見渡せる。真っ黒い砂浜に何万という武装した海兵隊が朝日に照らされて芋虫のようにうごめいている。そのヘルメットを冠った虫の群れはあとからあとから際限もなく砂浜に吐き出され、じわじわとすりばち山に向かって進みはじめている。地獄絵のような話だが、それが終戦の年にこの島で実際に起きた出来事だった。

 風呂場は話の通り宿舎から離れて建てられていて、風呂に行くには50mほど丘の上を歩かなければならない。話の通り街路灯はなく、暗くなってから行くには、大人でも勇気のいる場所だった。中に入ると入り口の引き戸の中にすのこを渡した脱衣所があり、その奥が四角いコンクリートの浴槽になっている。脱衣所も洗い場も波板に囲われているだけで窓がない。この島と横須賀を結ぶ揚陸艦や入間からの輸送機も同じで、灯りで敵の目標にされないために窓をつけていない。島に着いたばかりだったが、この島を取り巻く環境は、まるでまだ戦時下のままだった。

 僕は現場監督に言われた通り、明るいうちに風呂に入っておこうと脱衣所で服を脱いでいると扉を開けて作業着の男が入ってきた。男は四十歳くらいで胸に荒崎興業と刺繍されたオリーブ色のジャンパーを着ている。

 「何をやらかしてここに来た?」
 「おのれ、チョンガーだな?」

 作業着を脱ぎ始めた男は、正面の壁を向いたままチョンガーだなとつばきを飛ばしながら怒鳴るように繰返している。その時の僕にはチョンガーという言葉の意味が分からなかった。

 「ふん、女房はおるのかと聞いておるんじゃい。」
 「女房、、、」
 「女よ。女は内地に置いてきたのか?それともおのれはチョンガーかと聞いておる。おのれは日本語もよう知らんのか。」

 チョンガーとは独り者のことのようであった。

 「はい、自分はそのチョンガーです。」
 「ほいたら、ちゅうことはじゃ、昔はおったのか?」
 「はい、でも今はそのチョンガーです。」
 「ええい、うっとうしいやっちゃな、おのれ、そのチョンガーチョンガー言うの、もうやめんかい。」

 男は自分から言い出しておいて、僕がチョンガーという言葉を使うと、うっとうしいとかんしゃくを起こす。

 「さみしいか?」
 「女は何しとった、ホステスか?」

 いくら男が元囚人であっても僕たちはこれが初対面のはずである。その中で目の前の男の態度は失礼といえば失礼極まりなかった。気が弱いとはいえ、さすがに僕ももう男の相手をする気が起きなかった。だから怖かったけれども返事をせずに黙ったまま服を脱いで脱衣かごに入れた。

 「おのれは島に来てそうそう、何をそうてんぱっとるんじゃい?まあええわ、どうせ流れ流れて硫黄島か、せいぜいがそんなとこじゃろ?」
 「いや、はじめの話ではマーカスに行くはずだったんです。」

 もう男に金輪際話をするつもりなどなかったのに、僕は思わずムキになって答えてしまう。マーカスとは、気象庁の観測所のある南鳥島のことを指す。台風情報によく出てくる島の名前だった。南鳥島はさんご礁に囲まれて、素潜りでもロブスターが簡単に獲れると聞いている。白い砂浜ややしの木、それにコーストガードのテニスコートもあるらしい。

 「そりゃあ災難やな。マーカスとここじゃあ、えらい違いじゃい。」

 そこで初めて男は顔をこちらに向けた。

 「断っておくがな、ここにいるのは前科者ばかりじゃ。おのれのような背広組とは無縁の世界よ、おぼえておけい。」

 やがて男は裏返しになって足首に掛かった作業ズボンを蹴り飛ばすように脱ぎすてると、脱衣所のすのこの上に脱いだ服をちらかしたままさっさと風呂場に入って行った。時間にしたらものの2、3分の出来事だったように思う。それが同室の珍蔵と自分の最初の出会いだった。

 島の朝は6時のラジオ体操から始まる。宿舎の下にある広場に作業員全員が集合し、ラジオ体操に続き国旗の掲揚、指差し呼称、朝礼と続く。朝礼のあと広場の向かいの食堂に行き7時半までが朝食、8時から午前中の作業となる。
 現場はどこでもそうだけれど、この島にも日曜はない。晴れていればぶっ通しで作業が続く。その代わりに雨が降ると何日も休みになってしまう。そして、もちろん仕事のない日に給料はもらえない。

 食堂は30畳ほどの広さのプレハブの平屋で、灰色の床の上に折りたたみのテーブルといすが2列に並んで置かれている。あまり細かいことは書きたくないけれども、朝の献立は、焼き魚、のり、納豆、生卵に、ご飯と味噌汁、それに夏みかんがつく。文字にすると豪華な献立のようだけれども、実際は、焼き魚以外調理のいらないパックに入ったものばかりだった。列に並んで最後にでこぼこのバケツから味噌汁をよそい、席に着く。2列のテーブルに向き合って食べ物を口に運ぶねずみ色の作業着を着た集団の上を、あずき色のハエがジュルジュルと音を立てては飛び回っている。男しかいない食堂で誰も口をきかないところが映画の刑務所のシーンを思わせる。昨日風呂場で一緒だった男は味噌汁だけを口にしてさっさと部屋に戻ってしまった。もうひとりの同じ部屋の、胸に斉藤と書かれた作業着の男は箸が使えないらしくスプーンで生卵をかき回している。風呂場の男の残した夏みかんをその斉藤が素早くポケットにしまう。目を疑うような、内地では見ることのない眺めだった。このままここで暮らしていけるのかどうか、僕にはまだわからなかった。

 その日の仕事は廃材の移動だった。8時、トラックの荷台に揺られて廃材置き場に向かう。廃材置き場はすりばち山に近い当時の千鳥飛行場脇にある。10分ほど未舗装の道を進むと野ざらしにされた廃材が見えてくる。現場監督と先に来ていた風呂場の男がブルドーザーに乗って中央に集められた廃材の山を切り崩しにかかっている。男の名は、ちんぞうと言うらしい。現場監督がそう呼んでいる。どういう字を書くのだろう。珍蔵だろうか?考えても仕方がないことだけれども、親がそんな漢字をはたして子どもにつけるものだろうか?

 珍蔵は無駄のない動きでブルドーザーを動かし作業を進めている。見渡すとブルは一台きりしか置いていない。まわりの男たちがブルの届かない隅の廃材をひとつずつ手作業で穴の中に放り込んでいる。廃材は木材で、コンクリートを流すための枠として使われているもののようだった。ブルドーザーはウニモグと呼ばれる当時の西ドイツ製の四輪駆動車を使っていた。ウニモグは戦車のようなキャタピラーと比べて移動範囲が抜群に広いためこの島のような平坦で広範囲の作業場には適しているということだった。けれどもゴム製のタイヤを履いているためパンクをしてしまうというリスクがついて回った。

 11時、午前中の作業は終了した。廃材置き場に残るという珍蔵を残して10人の作業員は迎えに来たトラックの荷台に登る。すでに太陽は真上近くにかかって、強い日差しを屋根のない荷台に投げている。どこかからゆで卵のような臭いが漂う。荷台に横向きに並んで座った全員が強い日差しにさらされて目をつむっている。僕のとなりの斉藤は右手の親指にできた大きなこぶをしきりにかんでいる。帰路も、朝と同じで荷台の上で話をする者は誰もいない。

 午後の作業は1時からだった。12時半に食堂を出発して廃材置き場に戻ってみるとパンクをしたらしいウニモグの前に珍蔵が立っているのが見えた。

 「なんだよパンクかよ。」

 誰かの声に応える珍蔵がいらだっている。

 「見りゃあわかるだろ、えらいこっちゃい。タイヤはもう島には残っとらんわい。」

 このままでは、午後の炎天下の砂地の上を男たちが廃材を引きずっていかねばならない。遮るもののない亜熱帯の日差しに風のない砂の大地。そして、さそりである。湿気の多い廃材置き場には島に生息するさそりが息をひそめて隠れている。ウニモグのつめで午前中は崩していた廃材の山を、ここからは人の手で少しずつ崩していかなければならない。

 「廃材崩しは新人の仕事ときまっちょる。」

 新人とは、昨日入間基地からこの島に来た自分を含む3人を指しているようだった。

 「自己紹介も忘れずにな。もしかしたらこれがおのれらの遺言になるかもしれんでの。」

 珍蔵の声に見せ物を楽しむ笑いがさざ波のように広がる。後で分かったのだが、それがこの島に来た新人歓迎のならわしだった。 サソリは恐ろしいけれどもとにかく腹を決めてやるしかない、僕はそう思って革の作業手袋を昼食前に干しておいたじゃり置き場に取りに行くと、僕たち3人の分だけが無くなっていた。もしかしたらウニモグのパンクも革手袋の紛失も、小用を思い出して事務所にもどってしまった鹿島の現場監督も、すでに仕組まれていたことなのかもしれない。こんな最果ての島に来てまでここの人たちは、こんなことにしか楽しみを見い出せないものなのか…。

 廃材置き場に戻ると、はやし立てる声と自己紹介を始める声が聞こえてくる。その声は服役した刑務所の名前と窃盗傷害実刑4年と話している。そしてあろうことか、これからは何でも言うことをききますからどうぞさそりだけは勘弁してくださいと許しを請うている。人を殺したという眉毛を剃ったもう一人の男の方も同じように服従を誓っていた。

 僕は腹が立った。仕事をするために来た島の現場で命をかけた見せ物を強いられたこともそうだが、それ以上に同じ輸送機で入間から来た2人があっさり奴らの支配下に身を置いたことが許せなかった。少なくとも入間基地から島までの3時間近いフライトの間、彼らは一言も僕には口をきかなかったし、小声で暗号のような塀の中の囚人言葉を使っていた。それだけでも十分威圧を感じていたのに、はじめから謝ってしまうとはどういうことなのだろう。傷害事件や殺人事件を起こすような周りに迷惑をかけてしまう人は、僕の偏見なのかもしれないけれども、もっと強情で、命をもかえりみない人間でいてほしかった。

 僕の番になった。別に根性があるわけではないけれども、とにかく無条件でこの人たちに降伏するのだけは嫌だと思った。

 「三辻孝明、33歳、出身地東京都、罪状は妻を刺したこと、離婚したことです。」

 自分一人が20人近くを敵に回すことになるかもしれなかったが、もうジタバタしても始まらなかった。

 「どこの刑務所じゃい?」
 「いえ、服役はしていません。」
 「ほいたら、つうことは、おのれは今逃げとんのか?」
 「にいちゃんさあ、ほら、あれよ、若いんだし、やりたくてやりたくて急いで家に帰ったら、若い奥さん、他の男、部屋に引っ張り込んでたんだよね?それでかーっとなって、もう何が何だかわかんなくなって刺しちゃったんだよね?」

 誰かのその声に僕を囲んでいた男たちが、腹を抱えて笑い転げている。その言葉を耳にした時、正直、突き詰めて考えてみると、そういうことだったのかもしれないと思えてしまった。惨めだった。もしそうなのだとしたら、自分には正義など何もなく、ただ、そこに残ったのは取り返しのつかないことを妻にしてしまったという後悔だけだった。その誰かの言葉の通り、僕は激しい嫉妬から妻を刺してしまったのも事実なのだから。こんな人たちに絶対飲み込まれるものかとカッコをつけている場合ではもうなくなっていた。

続く

 

三辻 孝明(みつじたかあき)
「CUBE IT AUSTRALIA」のCEO(最高経営責任者)。早稲田大学人間科学部環境科学科卒業。1989年より豪州在住。

 
 
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