筆者三辻孝明さんは、一昨年の2019年8月に癌の告知を受けました。以後、自然療法や抗癌剤治療を経て癌の摘出手術を受けるなど、その約10ヶ月間、「静かに死を見つめながら、久しぶりに文章を残すことができました」と話しています。また「レポートに毛の生えたようなものですが、過去の自分自身の経験を形にできたことは、少し肩の荷が降りたような気持ちです。よろしければ、ご一読ください」と語っていました。
そして、2020年7月16日に当「硫黄島ダイアリー」の連鎖がスタートすることになりましたが、翌月の8月10日、残念ながら三辻孝明さんは帰らぬ人となってしまいました。
闘病生活中に死を見つめながら書き上げられた当連載「硫黄島ダイアリー」ですが、生前の故人の遺志を受け継ぎ、パースエクスプレスでは連載を継続掲載致します。読者やユーザーの皆様には、引き続き「硫黄島ダイアリー」をご愛読頂けると幸いです。
<第四章『CHEMISTRY』1話はこちらから>
【連載小説】
硫黄島ダイアリー
三辻孝明
第四章『CHEMISTRY』2話
六本木での出来事は、決して後味の良いものではなかった。外国人の女性たちも、机の上の珍蔵の写真も、底のない怖さのような影を僕の中に残していた。その影は日が経っても決して消えることがないだろうことも、きっと僕には分かっていた。ここはとりあえず、もう少し事態を消化するまでは、何も考えないでいようと思った。そうすることが今の自分には一番必要なことのように思えた。
そんな流れから僕は翌週の休みに気分転換を兼ねて、ずっとペンデイングになっていたキヨシ少年の故郷を訪ねることにしたのである。東海道線で1時間、多分戦前からはすっかり様変わりした神奈川県二ノ宮の駅に降り立ったのは、ちょうど昼休みを過ぎた平日の午後の時間帯だった。火曜日ということもあって、人影のないベッドタウンが表情のないまま、あたり一帯に広がっている。
キヨシ少年の言っていた釜野という場所も、探し当ててみたのだが、あれからすでに45年以上も経てしまい、今は東京に通う人のための住宅街にすっかり様変わりを果たしていた。
二ノ宮の駅前から2時間ほどいろいろな路地を歩いてはみたのだが、キヨシ少年が通った蛇の出るあぜ道や、相模湾が見渡せるみかん山は、もうどこにもありはしなかった。代わりに、小さい一戸建ての住宅が軒を重ねるようにして、辺りを埋め尽くし、表情のない均一な景色をどこまでも織りなしている。
海岸に向かう。美しかったという松林のある相模湾への眺めは、西湘バイパスの橋げたとその上の車道で、景色が上下に分断されてしまっている。自動車道路下の砂浜には、長者丸と書かれた、たぶん漁船のものだったのだろう、油で汚れた浮き輪がひとつ、投げ棄てられていたのが印象に残っただけだった。
キヨシ少年が育った写真館があったという国道一号線沿いの景色も、もうその当時の面影を全く残してはいない。そしてキヨシ少年が慕っていた雪絵先生の北山と言う苗字の家も、その写真館の周辺には既に存在しないものになっていた。このままでは何の収穫もないまま帰ることになりそうだった。
線路に沿って隣の国府津駅まで歩いてみることにする。国府津駅で上りの東海道線を待ちながら、僕は終戦の年にここで起きたキヨシ少年の話に出てくる彼の姉上の惨事を思い出していた。その話によると空襲を終えて残った弾薬を使い切るためだけに、当時はよく米軍の戦闘機が飛来してきたのだそうだ。東京や横浜、関東地方一帯に爆弾を落とすB29の護衛のための戦闘機部隊は、ちょうどこの辺りの上空を通って、相模湾沖の太平洋に待機しているアメリカの航空母艦まで戻って行ったらしい。
そして、かれらは人間狩りさながらに駅舎や停車中の車両に隠れているはずの一般市民を殺戮していった。敗戦直前の当時、丸の内にある日本興業銀行に勤めていたというキヨシ少年の姉上も、その犠牲者の中の一人なのである。あの戦争の勝者である米軍の、その考え方、行いは、硫黄島も沖縄戦も、サイパン島も、東京大空襲や広島、長崎への原爆投下も、たぶんみな一緒だったに違いない。
当時の彼らは日本人を人間としてみてはいなかった。うさぎや鹿をハンティングするのと代わらないメンタリティで、あるいはゴキブリやハエを殺虫剤で殺すような感覚で、圧倒的な近代兵器に守られながら、狙う先の列車や駅舎の中に、そこに暮らしている市井の人々が存在することを考えることもなく、銃の引き金を引き続けていたに違いない。それは、何も彼らだけが残忍で自分勝手な生き物だという証左では決してない。
戦争とは、圧倒的に有利な武器を手にした側の人間が、そのような行動をとるために用意された残酷な舞台装置なのだ。そしてその悲劇を回避する方法は、お互いをより平明な気持ちで理解する情報の交換以外にはない。少なくとも今の時代に、日本人がサルに近く、教養もなく、地球上でもっとも危険な民族のひとつだと信じているアメリカ人は、そんなにはいないはずである。相手を知ることによって、争いを避けることができるものなら、知ることに対する努力を、新しい武器を手に入れることに使うお金よりも、はるかに優先させなければならない。でないと、キヨシ少年の世代の人々が辿った残酷な舞台装置が、またきっと現れてきてしまう。
人間がそこまで愚かでないと、僕は本当に信じたいけれども、歴史は繰り返されると言われていることからも、僕たちは力に頼るような生き方を、細心の注意で戒めながら、相手、特に弱者の立場に立って物事を判断していかなければいけないと切に願う。
どうして?
ローズは一体結城のことをどんな風に考えているのだろう?麻布署の刑事が教えてくれたことが本当なら、あの偽刑事には、まだ結城とのつながりが残されている。それなのにどうして彼女はあの男に会いたいというのだろう。彼女の尊敬する先生のためだということは、私にだって理解できる。でも、そうすることによって彼女自身がまた危険に身をさらすことになってしまうのだとしたら、元も子もないのではないか。
Fateで疲れていたはずの彼女を部屋まで送った後の帰り道、私はそのことをずっと考えながら歩いていた。だから長者丸の彼女のアパートメントから細い路地を抜け、タクシーの拾えるところまで出る直前まで、私は向こうから歩いてくる三辻孝明のことを完全に見落としていた。
どうしてあの人がここにいるの?
私はとっさに近くの物陰に身を隠した。その間にも、彼はまっすぐに私の隠れている方に近づいてくる。彼の様子から、私にはまだ気づいていないようすだった。そして何かを思いつめたような目で、私の前を通り過ぎて行った。
ここであいつを見たことは、もうそれだけでも十分ショックだったのに、彼のすぐ後ろを同じ方向に歩く中年の男を見た時には、ほんとうに心臓が止まりそうになってしまった。なぜなら私はその男を知っていたのだから。私の記憶に間違いがなければ、男は霞町のクラブに来ていたお客さんの一人だった。いつもバーボンを、ワイルドターキーかジャックダニエルを飲んでいた陽に焼けた中年の男。何度かローズが隣に座って相手をしていたこともあったように思う。
どうしてあの男が彼をつけているのだろう?
私は息を飲んでしまった。もしも私の悪い予感が当たっているのなら、あのバーボンの男と結城はつるんでいる。なぜならあの男はあいつをこうしてつけているのだから。霞町のクラブは結城がママさんにやらせていた店だった。そこに独りで飲みに来る客はそうはいなかった。決して入りやすい店ではなかったし、誰かのつながりで来る客がほとんどだったから。
その時だった。
あの偽刑事が突然、なんの前触れもなしに振り返ったのだ。そして何か忘れ物でもしたというようにいきなり、歩いてきた道を引き返し始めた。私も驚いたけれども、つけていた男の方がもっと驚いたに違いなかった。バーボンの男の方は、急に手前の路地を左に曲がり、そのまま坂道を下っていった。そしてあいつは私の目の前を足早に通って、通りかかったタクシーに手を上げた。
「あなたここで一体何をしているのよ、、、」
つけられていることも知らずに、うろうろしている彼の行動が理解できなかった。急に逃げ出して行った先日の六本木でのことといい、怒鳴りつけてやりたい気持ちだったのに、そういう時に限ってあの偽刑事はさっさといなくなってしまう。でも、これであいつが結城とはつながっていないらしいことがはっきりした。それは、彼が引き返した場所にも関係していた。
彼は、ローズのアパートメントを通り過ぎ、その先の3つ目のアパートメントの前まで歩いた時に急に振り返って、来た道を戻り始めたのだ。ということは、あいつは偶然にここの路地を歩いていただけで、ローズのアパートメントを訪ねに来たわけではないということになる。急に引き返したことも演技には見えなかったし、結果としてそのことはとりあえずのローズの安全を意味していた。
そして、結城の関係者が彼をつけていたこと。
先日、六本木の交差点で三辻孝明が私たちと一緒にいたところを目撃したとか、そういうことなのかもしれなかった。バーボンの男はもしかしてそれ以来、ずっと彼をマークしているのだろうか。
警察に連絡しようかとも迷ったけれど、何も起こっていない今の段階で彼らが真剣に動いてくれるとも思えなかった。それよりも何よりも、あの偽刑事をこのままにしておいていいわけがなかった。何も知らないあいつは、別の用事だったとはいえ、またこうやってローズのアパートメントの周りをうろうろしてしまうのかもしれない。そんなことを繰返しているうちに、ローズと鉢合わせでもしてしまったら、バーボンの男を通して彼女の住まいが結城に知れることにもなってしまう。
これはもう放っておける話ではなかった。マリオのアパートの場所なら、なんとか思い出せそうだったし、とにかく彼に会って一刻も早くきちんと話をつけなくては。私はそれからも少しの間、息を潜めたまま生垣の間に身を隠していた。
三辻 孝明(みつじたかあき) 「CUBE IT AUSTRALIA」のCEO(最高経営責任者)。早稲田大学人間科学部環境科学科卒業。1989年より豪州在住。2020年8月10日永眠。 |
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