また、TVに限らず、雑誌や広告一般には、どんなデザインや色が、売り上げにより効果的なのか心理的な分析も行われる。この「消費市場至上主義」の傾向は「イメージ情報」の押しつけだけではない。生活一般が、そんな方向に動いているようにも感じる。
自宅にいても、今、原稿を書いていても、セールスの電話があった。チャイムが鳴り、押し売りまがいの訪問販売が来る。外ではスーパーや政治広報の宣伝カーががなり立てる。もう、ほっといてくれ、と言いたい。
必要・不必要は自分で判断させてくれ、と言いたい。便利すぎると思考力がなくなるじゃないか、と。
確かに、モノが溢れた今、日常生活は一見すると便利になったようだ。しかし、果たして生活は「豊か」になったのか。これまで起こっていた問題や、今も起こっているいろいろな問題は解決されてきたのか。
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単に選択肢が増えただけでは、何にもならないのではないか。選択肢が増えた(ように思える分)、本当に大切な問題から目を逸らされているのではなかろうか。
自分でモノを作り上げる楽しみ。この場合のモノは、形ある作品ばかりでなく、人間関係などの形にできないモノも含まれているのだ。思考を止められ、与えられることに慣れてしまうと、作る喜びや楽しみ、充実感をも奪われてしまっているように感じる。
写真も同じこと。創造性よりも、再現性のみを重視した作品。テクニックだけでオリジナリティーが見られない作品は、見ていても面白くない。ではどうやれば独創性を出せるのか。
それは、撮す側が、まず自分を知ることから始めるしかない。
自分がどんな映像情報を受け続け、イメージ情報に操作されてきたのか。ちょっとは意識する方がいい。それが、撮す側の出発点でもある。
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