現在、私たちの周りには、生まれたときから、さまざまな「情報」と「情報手段」が入り乱れている。口コミ、新聞、雑誌、テレビ、チラシ、ラジオ、映画、電話、インターネット、訪問販売などなど。
 いったん家を出ると、電車やバスの「吊り」で見たくもない広告を目に入れざるを得ない。バスの車体の横に企業広告やお知らせ。タクシーや車の横にも広告。公共交通機関のドアにも小さなシール告知。ビルの壁面や屋上にも広告。広告が悪いと言っているのではない。あまりにも節操がないと言いたいのだ。
 毎日毎日、ビジュアル的な「情報」の強制的すり込みがある。便利さを追求していこうという社会の表れなのか。自分が動かなくても、考えなくても、対価を払えば、誰かが動いてくれる。そんなある種、怖い社会を押しつけられていく。

   人間の行動の要因を追求する行動学では、生得的条件(遺伝)と環境(育ち方・育てられ方)の優勢が常に問題となっているそうだ。生物学的には、遺伝と環境のどちらもが人の行動を作用し、ヒトは、他の動物に比べて、環境の影響が強いといわれている。

 テレビを見ていると、番組の本編からコマーシャルに切り替わると、急に(音のボリュームの大きさは変わらないが)聞こえ方がはっきりするように音に細工が施されている。ニュース番組を見ていると、時に不必要な効果音や、視覚に訴えるだけの刺激的な映像が流されている。「イメージ情報」を発信する側の意図が簡単に分かる場合はいいが、例えば、写真画像の静止画が流れたときに、写真の背景色が奇妙に配色されていたりする。時に、「なぜかな」と不思議に思う。政治家の顔写真でも、いつの、どのような写真を出すのかによって、見る側の印象が変わるものである。

   


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