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Barefoot in the Creek

 

 希望と新天地への冒険心が、少なくとも初期の段階ではグループを団結させていた精神であった。彼らは、自分たち、いや子供たちのためにより良い未来を描き、開拓をしていきながらも厳しい労働と豊かな環境から得られる利益を受けることを期待していた。しかし、厳しい現実に徐々に陥っていく中で、希望は反抗へと転じていった。この段階になると、これまで堪え忍んできた者たちは、彼らに反する権力や経済構造に対して団結していった。
 政府が開拓計画の失敗の責任転嫁先を求め出したとき、移民者たちは、「劣等な市民」と評されたが、概してそれは事実ではない。彼らは被害者である。なぜ移民者たちはその劣悪な環境に耐えうることができたのか。遠く隔離され、疲労困ぱいし、財政力もなければ一致団結して抗議できるはずもない。一方、世界全体も不景気ムード一色であったため、

堪え忍んでいたのは何も移民者たちだけではなかった。そこには少なくとも、家があり、農場から食物が得られ、羞恥心を外界から隠すことのできる距離があった。この時代、貧困は今日以上に恥ずべきことであり、男たちはたとえそれが自らの失敗であろうとなかろうと、家族を貧困に至らしめたと感じた。女性たちは己の運命とし、恥じて自分たちの置かれている状況を親類にでさえ知らせなかった。すべてを政府の咎とする時代はまだ到来していなかった。
 集団開拓計画は歴史の一ページとなるであろう。しかし歴史は空想家だけでなく、夢を現実化する人々によって紡がれていく。人々の人生と、その子孫の人生は彼らが努力したことの結果よりむしろ、人生を歩んでいく中で遭遇した、記録には残らない出来事によって形作られていくのである。
次号に続く