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【連載小説】 硫黄島ダイアリー 第一章『硫黄島』2話

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筆者三辻孝明さんは、昨年の2019年8月に癌の告知を受けました。三辻さんは以後、自然療法や抗癌剤治療を経て、癌の摘出手術を受けた10ヶ月間、「静かに死を見つめながら、久しぶりに文章を残すことができました」と話しています。そして「レポートに毛の生えたようなものですが、過去の自分自身の経験を形にできたことは少し肩の荷が降りたような気持ちです。よろしければ、ご一読ください」と。

<第一章『硫黄島』1話はこちらから>
 
 

 
【連載小説】

硫黄島ダイアリー

三辻孝明

 

第一章『硫黄島』2話

 気がつくと自分の腕が木材のすき間に入っていくのが見える。廃材を引っ張ったことで、同時に山が崩れ始めている。震えながら台所の食器を壊していた妻の背中が崩れ始めた廃材の上に重なる。なぜ、僕はあの時、彼女を抱きしめることができなかったのだろう、なぜ、何も声をかけないまま、黙ってその様子を見てしまったのだろう…。もしもさそりに刺されたのならその時は、これまでの罰を与えられたのだとあきらめよう、そんなことも意識の薄れそうなおしまいの方で考えていた。やがて、黄褐色のさそりが硬腹部を背上にひるがえしながら飛び出してくるのが目に入った。大きさは10cmはないが、逃げる方向を誤って僕の腕づたいに這い上がってくる。

 「殺すなよ。」

 うしろで珍蔵の声がする。

 「さそりにはな、死んだ兵隊の魂が入っとる。いいか、ここでは殺生はもうご法度なんじゃい。」

 さそりは無抵抗の僕の肩から背中を伝って、後ろの草むらに逃げていった。気がつくと現場監督の運転するトラックが砂埃を巻き上げて戻って来ていた。

 島のならわし、新人歓迎の儀式はそれで終わりだった。いやな感覚だけが自分の中に残ってしまった。妻を刺したあの日の記憶と一緒だった。我を忘れて夢中になってしまうと、ちょうど今のように自分の周りのすべてが白いベールに包まれてしまう。そして、ぼやけていく意識の向こうに意味不明の達成感のようなものが確かに残るのだった。

 「きっとあなたは病気なのよ」

 妻に何回そう言われたか知れなかった。その都度、下手な言い訳をして取り繕っていたけれども、今となってはそのときの妻のひとことひとことが、懐かしくもあり、悔しくもあり、何よりもここに来てまで未だに過去を引きずっている自分が情けなかった。

 午後の作業は、午前中とは比べもにならないくらいに辛いものだった。汗は首筋から背中を伝いパンツまで届く流れを作っている。島のならわしなどという余計なことに神経を使ったために、気持ちが萎えそうだった。けれども砂地に足元をすくわれ、さそりにおびえながらの廃棄作業は、延々と続いていく。やっと作業を終えたのは4時を過ぎたころだった。

 「廃材撤収終了。本日の作業はここまでということで。」

 現場監督の声を合図に、廃材置き場に散らばっていた男がゾロゾロと重い足を引きずるようにトラックに向かって歩き始めている。

 「明日は本日の半分の人数でここを終わらせてもらいます。」
 「おう、ほいたら明日はうちの部屋でやりますわ。」

 現場監督の声に隣の珍蔵が確かにそう答えている。うちの部屋とは珍蔵と斉藤と、たぶん僕のことを指している。

 僕が入浴をしたのは、夕食を済ませて全員が部屋に引き上げた後の八時をすぎた頃だった。島に来た昨日は気づかなかったけれども、ここでは新人が一番最後に入る決まりになっているらしい。辺りはすでに日没して、雲が出てきたためか月明かりはなかった。風呂場へ向かう途中真っ暗な闇の向こうに昨日よりもはるかに力強さを増した二つ根浜の波の音がこちらを威圧するようにとどろいている。僕は何も考えないように扉を閉め脱衣所に入り服を脱ぐ。裸電球の周りを飛び回るハエの群れが気味の悪い羽音を繰り返し、波板の壁に当たる風の音までが、なんだか人の叫び声のように聞こえてしまう。誰もいない四角いコンクリートの浴槽につかる。作業員の垢と泥で汚れたなまぬるい湯の上を、うっすらともやがはっている。

 「幽霊は湿気の多いところに出ますから。」

 現場監督の言葉がくりかえし頭の中を回っている。天井の裸電球がすきま風にゆれながら、走馬灯のような影を波板に映し出している。

 
 

 「おのれはまじめだな。」

 翌日の昼休み、昨日の廃材置き場に珍蔵と並んで座っている時のことだった。 

 「まじめなのはおのれの勝手だが、この島に変な興味だけは持つなよ。」
 「変な興味?」
 「ああ、ここにあるものには手を出すな。それがこの島の掟よ。」

 そう話しながら珍蔵は小さなガラスのビンをつまみ上げる。

 「青酸カリが入っていたビンだ。負傷兵の自決用だ。そのへん探しゃあ、薬きょうだ、銃剣だ、何でも出てくるわい、人の骨までな。でもな、そいつを内地に持って帰ったやつらは全員おかしくなっちょる。命まで落としちょる。」

 珍蔵は作業ズボンを用心深くはたいてから立ち上がると小便を始める。

 「ふん、さそりがおることがあるからな。おっ、見てみい。」

 珍蔵の声にうながされて僕がのぞくと、小便の落ちる先に葉巻ほどもある赤黒いムカデが藪の中に逃げて行くところだった。

 「こいつを踏み潰すとな、真っ赤な血をふきだすんじゃ。こいつらはみなよう太っちょる。穴ん中の日本兵の血をな、ぎょーさん吸っちょるからの。」
 「穴の中の日本兵?」

 珍蔵の言葉にとなりの斉藤が両の耳をおさえながら間の抜けた動きで離れて行く。それを見た珍蔵が金切り声をあげて笑う。

 「おお、まだ洞窟の中には兵隊がおる。運がよけりゃおのれも見られるぞ。何十年もかけて地熱で燻製になったやつをな。」

 
******
 

 砂をまくような雨脚がトタン屋根の上を這い回っている。ここに来て2週間、最近は島の近くに居座って動かない低気圧の影響で土砂降りの雨が続いている。仕事のない日が3日を越え、昨日から一日3回の食事が2回に減った。入間基地からの食料を積んだ輸送機が、厚い雨雲に阻まれて島におりられないからだ。仕事がなく、かといって酒と博打以外娯楽があるわけでもなく屈強な男ばかりが閉じ込められたこの島で、毎日まるで日課のようにけんかが起きるようになる。それが朝からのこともあれば、深夜寝静まってから壁にぶつかる物音で起こされることもある。その朝もそうだった。

 「てるお、、、」

 珍蔵がうなるようにつぶやいている。

 けんかの原因がてるおであることは、ここでは誰もが知っている。一番奥の4号室の住人であるてるおは、どうも一番古いらしい。一番古いらしいというのは、とにかくひどいどもりのためにふだんから一体何を話しているのか誰にもよくわからない。いつからここに住み着いているのかもよく聞き取れない。でもとにかく一番古いらしいことだけは確かなのだ。年齢は珍蔵より一回り下の三十代なかほどだった。180cmを超える恵まれた体も珍蔵より一回り大きい。髪の毛は五輪刈りと呼ばれるぼうずっくりで青々とした地肌が、てるおの並でない精力をあらわしている。てるおは話し始めるときに必ず首を右に曲げてから笑う。そして、あごでリズムを取るようにして最初の言葉を話し始める。たいていの場合そこでつまずいて、何度もはじめの言葉にもどるから、まるでヒップホップの音楽を、ふざけて口で表現しているようにも聞こえてしまう。

 その朝は事情を知らない島に来たばかりの通訳が食堂にいて、朝っぱらから面白いやつがいると勘違いしてしまったらしい。新人は先週作業中にさそりに刺されて岩国に空輸された外語大出の通訳の交代要員だった。てるおにとっては、会話のとっかかりの言葉でつまづいて、なんとかそこから抜け出そうと首や体をくねらせながら必死になっているときに、来たばかりの新人に笑われたのだからたまったものではなかった。あとで斉藤から聞いた話によると、てるおは新人に目の前にある醤油をとってほしいと、たのみたかっただけなのだそうだ。サ行のプロナンセーションが特に苦手だったてるおにとって、朝から“醤油”という単語を口にしなければならなかったことは居合わせた通訳にとっても不幸な出来事だった。

 「ショショ、、、オヨオヨオ、、、」
 「あははは、おにいさん、朝からどうしちゃったの?」

 そして食堂には通訳の血が流れた。てるおは太鼓が好きで、鏡割りをしたあとの酒樽やコーストガードからもらった壊れたバスドラムを大事にしている。大柄な体に似合わないきれいな肌をして、その背中に竜の彫り物が刻まれている。僕がなぜそんなことを知っているのかというと、一度貯水タンクのまわりのコンクリートの地面にその酒樽とバスドラムを並べて、上半身裸になりながら踊るように太鼓を叩いているてるおを見たことがあるからだ。それは、てるおが話をしようとしてもがいている様子からは想像もつかないほどの美しい動きだった。天性のリズムと野外労働で鍛えられた筋肉が、ことばなどおよばない生きる力を発散していた。

 「すごい動きをしていた。」

 てるおの太鼓を見た興奮から僕が部屋に戻って斉藤に話すと、てるおは誰に太鼓の叩き方を教わったのでもなく、自分の影が地面に映るのを見て体の動きを会得したのだという。

 「貯水タンクのまわりは白いコンクリートだから影がよく見えるんだよ。てるちゃん、それを見てひとつひとつ動きを確かめていったよ。」

 もうひとつ、暴れだしたてるおを抑えられるのは珍蔵しかいない。実際、新人の通訳が灰皿で殴られたとき、珍蔵は持っていた海兵隊の銃剣を何の言葉も発しないままいきなりてるおに投げつけた。銃剣は胸ぐらをつかんで相手を抑えながら一方の手でもう一度灰皿を振り下そうとしていたてるおの顔すれすれを通り過ぎ、壁に刺さった。その瞬間、てるおの動きが止まる。持っていた灰皿は音を立てて床に転がり、血まみれの新人は解放された。ふたりの関係はまるで猛獣使いと猛獣だった。だから騒ぎが起きると必ずそこにはてるおがいて、だれかが助けを求めてくると珍蔵が面倒くさそうに銃剣を持っては部屋を出て行く。そして、その朝と同じように何も言葉を発しないままいきなりてるおの顔めがけて銃剣を投げつけるのだ。銃剣は顔すれすれに光の糸を引いて通り過ぎ、おじけづいたてるおは我に返ってしゃがみ込む。前進も後退もない。同じことが儀式のように繰り返されていく。風が吹くと風鈴がなるのと同じことだという。てるおが暴れだし珍蔵のナイフが空を切る。そうやってここでの秩序は保たれている。刑務所でもマグロ船でも男ばかりの世界には、そういう説明できない儀式が必ずあって、それで秩序が保たれる。何も知らないでこの島に来て僕はたまたま3号室で暮らしている。僕は幸運だったと思う。もしもてるおのいる隣の4号室だったらと考えると、本当に恐ろしいことだったと思う。

 午後になって長い雨がやっと上がった。道は泥のようにぬかるんで作業開始のめどは立っていない。食堂や部屋の中にいても蒸し暑いだけですることもないし、僕は戦争資料館に向った。ほんとうはせっかく晴れ間がのぞき始めたのだから、砂浜を散歩したりしたかったのだけれども、この島には泳げる海岸も公園も何もない。あるのは自衛隊の売店と戦争資料館だけ。海に囲まれているはずなのにビーチまで下りていく道すらもないのだ。それに自衛隊の売店といっても、するめいかと紙パック入りの清酒大関、ハイライトしか置いていない。あとは公衆電話だった。まだ携帯電話やインターネットのなかった当時、テレビもラジオも新聞もないこの島では、公衆電話だけが外の世界とつながる唯一の手段だった。きっと、多分ここの公衆電話は、日本でも有数の売り上げを誇っているはずだった。売店の自衛官が宿舎に戻ってしまう夕方を過ぎると、翌朝まで使えなくなることが普通だった。それは100円玉がいっぱいになって、それ以上お金が入らなくなるからだった。

 無人の戦争資料館はその売店に行く途中に建っている。音楽が流れているわけでもないし、入り口に受付があるわけでもない。一歩足を踏み入れると中は狭くて暗い。そしてだれもいない室内で足を止め展示品を見ていると誰でもが気づくことがある。それは上陸したアメリカ海兵隊と守っていた日本兵の道具の間には、天と地ほども差があったということだ。ステンレスとブリキの違い。ブリキのおもちゃと本物の自動車が真正面からぶつかったあとのような展示品。日本軍の守備隊が全く希望のないまま戦闘を続けていた事実を、残された道具がカビの匂いを放ちながら物語っている。自分の中では戦争とはきちんと武装した集団が雌雄を決するために国の威信をかけて激突を繰り返すことだった。その考えからするとこの島で起きたことは戦争ではなく、上陸した海兵隊にとっては、初めから楽勝を保障されていたいじめ、守っていた日本軍に取っては全く勝ち目のない集団自殺に近かったのではないかと思えてしまう。そして、そのような状況を作ってしまった当時の戦争指導者たちの責任は免れようもない。けれども完璧な武器で武装した海兵隊のここでの作戦も失敗だった。なぜなら負傷者の数は、海兵隊のほうが日本兵を上回ってしまったのだから。

 アメリカの歴史の教科書にはすりばち山に掲げる星条旗の写真がかならず載っている。第二次大戦で最も犠牲者を出してしまった、アメリカにとっては汚点と言って間違いないここでの戦い。そのことがこの資料館でも特に解説されている。防衛大生は、だから定期的に輸送機で送られてくる。こんなことは言いたくないけれども、娯楽がなさすぎて仕方なく戦争資料館に通ううちに、自分にも見えてしまったことがある。それは、一体、防衛大生はここに来て何を学んで帰るのだろう?ということだった。資料館の説明通り、栗林中将が掲げていた一人十殺の厳格な指揮と、陸軍内の派閥により玉砕の島に行かざるをえなかったエリートの悲哀について、学ぶためだろうか?あるいは、地下壕の中で餓死していった1万人以上と言われる、少年や寄せ集め兵たちの悲劇を学ぶためなのだろうか?大きなお世話なのだが、僕は彼らの訪問が、餓死した兵隊たちの悲劇を思ってのものであってほしいと願ってしまう。

 でも同じ時に、入間基地からの輸送機の中で、当たり前のようにうな重を食べてくつろいでいた防衛大生と、近い将来自分たちの上官になる彼らを見ないようにして勤務していた、C130輸送機の航空機関士やナビゲーターを思い出してしまう。彼らの間には微塵も愛情や信頼、尊敬しあうような関係は見られなかった。それなのに愛する人を守るため、愛する祖国を守るために自衛隊は存在している。同じ飛行機に乗っているのに、顔を背け合う人たちが、どうして戦争になると愛の象徴になれるというのだろう。栗林さんが防衛大生にとっての“理想”の上司なのなら、戦闘ではなく水や食べ物が何もないために祖国から見殺しにされた多くの日本兵は“現実”の象徴として、もっときちんと取り上げなければいけないのではないだろうか。このこだわりはたぶん、もしも自分があの時代にここにいたなら、エリート指揮官ではなく、餓死した方の一人だったに違いないと思えるからでもある。そして、この戦争資料館に集められた錆びたヘルメットや銃が伝えたいこととは、こんな粗末な道具でも、指揮系統が秀逸だったためにアメリカ海兵隊と互角に戦えたのだということなどではなく、もう二度と武器を持って人を殺すことを正義と考えないでほしいという生還できなかった日本兵からの遺言に他ならない。

(ごめんなさい、あの30年前の資料館の中を思い出すうちに、現在の自分が顔を出し、ムキになって書いてしまいました。こういう正論をこんな形で書いてしまう自分自身の偽善、嫌いです。30年前の自分は、少なくとも今よりは素直でした。小説の中の自分に戻り、先を続けようと思います。よかったら引き続きご一緒ください。)
 

<第一章『硫黄島』1話>

 

三辻 孝明(みつじたかあき)
「CUBE IT AUSTRALIA」のCEO(最高経営責任者)。早稲田大学人間科学部環境科学科卒業。1989年より豪州在住。

 
 
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