スペシャルインタビュー1「それぞれの思い」
パース在住イラク人に聞く

パースエクスプレスではパース在住のイラク人Abdul Mosawyさん、39歳にインタビューを試みた。イスラム教シーア派の彼は、1981年に大学を卒業すると82年から約7年の間、レーダーの専門家としてイラク軍に従事していた。現在は、フリーマントルで時計メーカーを営んでいる。

◆なぜイラク以外の国で生活することにしたのですか?
1991年に起きた反政府活動に参加したからです。私はそれまで28年間の人生を南部のバスラで過ごしましたが、フセイン政権にはこれ以上従うことが出来ないと確信しました。

◆オーストラリアにはいつ来ましたか?
イラクを離れたのは1991年のことですが、オーストラリアに来たのは1994年です。まず国境を越えてサウジアラビアに入り、そこでラフハと呼ばれる難民キャンプで生活しました。5人の兄弟と母、そして妻と息子も一緒でした。キャンプに着いた時、2歳だった息子は、そこを出た時には4歳になろうとしていました。

◆今回のイラク戦争をどう感じましたか?
フセインを解任させることに100%賛成です。現在では誰もが、フセインは悪者だと確信しています。彼の側近ですらです。イラクの人々は、今まで耐えてきた恐るべき体験をやっと自由に話すことが出来るのです。でも、それは巨大な力を持った怪物全体を表現するほんの一段階でしかないのです。

◆イラクは外部の力を借りなくても、国民の力でフセイン政権を倒すことが出来たと思いますか?
我々は、我々だけの力でフセインを倒そうと試みました。国民はこの独裁者を排除し、社会を建て直す義務がありました。しかし、残念ながら出来ませんでした。フセインは近隣のアラブ諸国からの支援を受けていましたし、何よりアメリカの援助まで受けていたからです。もし、アメリカが援助をしなければ、我々は1991年にフセイン政権を倒せていたでしょう。結局は12年前の当時、アメリカはフセイン政権の崩壊を望んでいなかったのです。
中東は今や全世界において、最悪の場所となっています。1991年、我々イラク人は新しい時代を切り開くスタート地点には立てませんでしたが、イラク戦争が終わった今、我々はフセインを排除するために連合側を支持します。しかし実際、心の中には12年前の傷跡が今でも残っています。何千何万という人が道端で殺され、処刑され、首を吊られ、投獄されました。たくさんの人が跡形もなく消息を絶ちました。ただ、政府に反抗したためにです。私は、別にクウェートを解放した兵士のことを話しているのではありません。フセイン政権に反対し、ただ路上に出てフセインに向かって「NO」と言った一般の人々のことを言っているのです。私の脳裏には一部始終が焼きついています。私はその内の1人だったのです。たくさんの友人を亡くしました。そして私は親友も失いました。

◆イラクの人々は連合軍を歓迎していると思いますか?
いいえ、連合軍自体に特に感謝は感じていないと思います。フセインがいなくなったことは、非常に嬉しいですが、12年前のアメリカの裏切りは、今でも我々の記憶に残っています。当時のブッシュ元大統領は、我々にフセインを排除するよう助言し、立ち向かわせておきながら、結局は傍観者へと成りすましたのです。当然、フセインは軍隊とヘリで、我々を鎮圧し、弾圧しました。何千という若者が殺されました。私は今でも死体の匂いを覚えていますし、鼻の中には焼けた死体の煙がこびりついています。

◆イラクは海外の占有者から選出された政府を受け入れると思いますか?
イラクは1917年以降、民主主義といったものを経験したことがありません。誰も西洋のやり方をイラクに適用させることは出来ないでしょう。もしもイラクで民主主義が始まれば、投票所を設けて自分の知っている人間に投票することも出来ます。どんな制度も理解するには時間がかかります。1年やそこらでは難しいでしょう。しかし、イラクは自由になるのです。イラク国民は知性を備えているので、周辺地域の中で最も優れた民主主義を築けると信じています。我々はきちんとした教育も受けていますし、知性もあります。イラクは、肥沃な大地を持ったとても豊かな国です。国民で出来ることはたくさんありますが、ただ、我々の政府がどの程度国外の影響を受けるかは、私には見当がつきません。
イラクはトルコ、イラン、サウジアラビア、シリア、ヨルダン、そしてその他の湾岸諸国に囲まれています。それら隣国の一つ一つが、今後、イラクが統治されていく上で影響力を持つようになるでしょう。国民は自分達の国は自分達の力で統治することを願っていますが、国内にはまだ30万を超える軍隊が潜んでいます。そのため、管理を開始することさえ難しい状態です。米英軍にはイラク国民が望む、発言の自由や報道の自由といった「自由」を、我々に与えるような政府を形成する手助けを望みます。イラクの指導者が学び、国民に彼らのメッセージを伝えられるように、外の世界との交流の自由を望みます。
国民のほとんどが教育を受けていますが、35年もの間、彼らは悲惨で貧困な生活を強いられてきました。人々は満足に食べることさえ出来なかったのです。飢えた人々から自由や民主主義を期待することなんて出来ないでしょう。彼らにまず食料を与え、水を与え、そして電気を供給する必要があります。政権について考えるのはその後でしょう。

◆戦争が終わった今、イラク難民はイラクに戻りたいと思っているでしょうか?
イラクは地球上で最初の文明社会を形成し、過去6千年の間、人々はイラク国外で暮らすことはありませんでした。人々が国外での生活を余儀なくされたのは、フセインの時代だけです。ほとんどのイラク難民が今、真剣に帰国を考えていると思います。私の家族もイラクに残っているので、母国の通信手段が再建されるのを待ちわびています。

◆オーストラリアのメディアはイラク情勢を正しく報道していると思いますか?
オーストラリアは、公平な立場で報道していると思います。ただ、一つだけ見落としているとすれば、それは一般市民の姿だと思います。釣りをしている人であったり、農場を耕している人、そんな人達と話をしてほしいです。彼らこそがきっと一般的なイラク人ですから。

-24 Apr 03 Interviewer: Tim Holland








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