気性の激しい姉ソポムーは不満をよく口にしていた。結局「伝統的」なカレンの生活に我慢ならず、難民キャンプを飛び出してしまった。ひょんなことから難民キャンプで英語を教えていた英国人と再会して結婚し、バンコクで子どもと3人で暮らしている。
昨年、バンコクの彼女の立派なアパートを訪れた。そのとき、タエポーの夫が危険を冒して出稼ぎに来ていた。しかし、タイも不況の真っ只中、不法就労の摘発を免れる仕事に就くのは難しそうだった。
バンコクで物質的に何不自由なく暮らしているソポムーと話をしてみる。
「そう、こうやって、バンコクに住んでも私はカレン人でしかない。タイ人にはなることができない。生活は困ってないけど、どうしていいか分からない。KNUのことを嫌っていても、実際に困っているのは、普通のカレンの人たちだし、彼らを助けてやりたいと思うし。でもどうやって。どうあがいても、私はカレンということから離れることができない、と思うと落ち着かなくなる。
|
|
一体自分は何者なのかと考えると、やっぱり私はカレン人なんだから、ということに思い至るの。」
そんな姉の影響を幾分か受けているタエポーは、自分なりの理想の家庭生活の考えを持っている。
「私は、自分の意志も尊重される結婚生活を望んでいます。男性と女性は平等な関係でありたい。それが、2人の生活の質を高めると思うからです。」
「でもこの家ではカレンの伝統通り、お父さんは家の中で威張っているのだろう」私がそう言うと、彼女はただ微笑むだけだった。そばにいた母親ミャイポー(50)は、声を上げて大きく笑った。娘のしつけには厳しい母親だが、彼女の意志はできるだけ尊重してやりたいという。
「タイに住みたければ住めばいい。でも、私は一刻も早くビルマに戻りたい。タイには住めない。」
母親は、キャンプ内の女性のリーダー役を努める活発な女性だが、カレンの「女性らしく」、決して出しゃばるような真似はしない。
|