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高度成長時代に差しかかる前の、まだ誰もが貧しく、懸命に生きていたその頃、彼は私から頼まれた調査の結果を抱えては、船と夜行列車を乗り継いで東京へやってきた。私が徳島に行くと、商売を奥さんに任せては、小さいスクーターの後ろに私を乗せ、二人してぼこりの田舎道を走り回った。貧しい農村の三男坊。幼時に父親に死別し、兄弟達は侵略戦争にかり出され、滅私奉公の時代を逆境で歯を食いしばって育った大正14年生まれ。都会育ちの私はこの人達に会う度に、なぜか名もなく貧しい“日本人民”の典型を見る思いにかられた。いまの世の中は正義、理想、真実、情熱といった古めかしく堅い言葉をすっかりきらうようになった。
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償いを求めぬひたむきさより、実利実益を先行させる体質が、社会に根をおろしてしまったかに見える。そのさなか、20年を超えてこの誠実な正義の人と一緒に歩いて来たささやかな歴史に、私は爽快な精神の喜びを覚える。
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私も先週の7月8日(金)、「おめでとう会」の帰りのJRの快速電車の中で、満員の乗客の人いきれに包まれながら、不機嫌そうな顔をしている人々の顔を眺めながら、なんとなく一人悦に入っていたのでした。
「斉藤さんのようなジャーナリストがいたのだ」と、遠くを見るような感覚を持っていましたが、この日、なんだか「あなたの背中が見えてきました」と、ぽつりと言いたくなりました。
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