この時代に、この土地に生まれた。それだけでこんな暮らしをせざるを得ない。なにか釈然としない。それはこれまで私が訪れた土地、ニカラグア・グアテマラ・エルサルバドル・カンボジアでも同じ風景だった。
  ごみ捨て場で働く子どもたちの姿は、写真として確かに「絵」になった。
  絵作りのため、知らず知らずのうちに子どもたちの姿を中心に撮影を続けていた。何も考えず、ルーティーンワークのようにシャッターを切っていた。
 ごみ捨て場で生活の糧を得ている子どもたちの暮らしは、確かに悲惨かも知れない。だが、そこで精一杯生きようとしている子どもたちの目は輝いている。確かにそうだ。
 これまで、中米やカンボジアのごみ捨て場で生活している

 

子どもたちの報告をするときには、そういう書き方をしてきた。
  だが、フィリピンのスモーキンマウンテンに入って初めて、なんかその考え方に違和感を持ってしまった。なぜだろうか? カティボー婆さんの笑顔を見て、なんか分からなくなってきた。

  現象面だけから見れば、そう、子どもたちは精一杯生きている。でも、なぜ、30年以上経っても、フィリピンのスモーキンマウンテンはなくならないのか。またなぜ、世界の途上国で存在する、ごみ捨て場で生活せざるを得ない人の存在は見過ごしにされているのか。
 果たして、世界は進歩しているのか。そう疑問に思う。これまで貧困に対して、国際社会はどのような取り組みをしてきたのだろうか。

   


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