それなのに「サラサラ」と表現しがちである。なぜか。また、絵を見て、音楽を聴いて、「なんかしらん、ええねん」。そういう感想を聞くときがある。なぜか。
 これらの疑問をじっくり考えることは苦痛でしかない。日本の学校生活で身についた、常に「答えがある」と思って生活を送ってきた私みたいな人間には、このような問いは苦痛でしかないのだ。
 答えのない問いもあるのだ。ある時、そう気づいたからだ。そんなときは、もう開き直るしかない。数量化できないもの、時間、人間関係、充実感があるからである。もちろん、お金の単位で計ることはできない。こちらの予想に反することが出てくるのである。

 私がつい、いわゆる途上国へと足を踏み出すのは、

  そこは、居心地がいいからであり、目に見えて、あるいは肌で感じることのできる存在があるからである。日本国内では、とりあえず言葉が通じるからラクをする。そのせいか、ついつい言語以外の感性が鈍くなる。だから避けたい。
 自分の慣れない環境では、簡単に自分の今まで持っていた基準が通じないから、自分という存在をはっきりさせてくれるのだ。翻っていると、技術が発達し、豊かな暮らしをしている日本は、表現活動をするときには、居心地が悪いともいえる。
 暗室に籠もる日々が続いたある日、ふと気づいた。私は写真を通して、自分の社会に対する思いを伝えたいのかも知れない、と。
(つづく)
   


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