たとえ誰か側にいようとも、完全に自分と向き合う孤独な作業であった。
現像液の中にうっすらとモノクロ画像が浮き上がってくる。なんか違うなあ、私の撮りたかったイメージとは…。シャッターを押した時は、「いい」と思っても、出来上がりは期待程ではなかった。撮っては現像し、焼き付ける。毎日そんな繰り返しだった。頭で必死に考えていた。何が、どうして自分の感じるところに、ぴったり合わないのか、と。
文章を書いたり読んだりする時、人は無意識的に状況を言語化して考えている。しかし、映像はこの考えるというプロセスを飛び越え、
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一気に直感的に訴える性質がある。具体的に写し取った写真は、このやっかいな存在、「感性」とはなんなのか教えてくれるヒントを与えてくれたりもするのだ。
逆に言うと、考えることが必要ない、直感に訴えるからこそ映像の役割があるとも言える。また、言語化できない(人間が生物的に持つ感性以外の)社会性で身についた感性は、素晴らしい人間の特性の一つとも考えられる。
たとえば、映像以外にも「音感」というのも言語化できない一つかも知れない。小川の水は「サラサラ」とは決して流れない。
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