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Barefoot in the Creek

 

 搾乳と農作業を続けるようにと父は私を残して母に付き添いパースへ行った。私は13歳になったばかりだったが、その事情に免じて学校を欠席することを許可された。父が戻るまでの1ヶ月間、近所の人の助けを借りながら農場を続けていた。その間に母は危篤状態を脱して回復に向かっていた。母は田舎には戻らないよう忠告を受けていたので、父は後始末をつけるために戻ってきた。おそらく解決すべき問題が父の手から離れほっとした思いだったであろう。

5年以上にもわたる努力の結果を打ち捨てる決断を自分でしなくてもよくなった。それは暗黙に失敗を容認することであった。事実、自ら農場を放棄した場合は政府からの援助がうけられるかどうかは疑わしく、やむを得ない事情があると有利だった。自ら集団開拓計画から身を引いた者は、失業手当が出ないか、その支給が遅れた。多くの開拓民は情け深い監督の計らいで解雇の形を取り、州からの援助を是が非でも受けられるようにしたのだった。

つづく