集団開拓計画の根本的な失敗は、そのビジョンが壮大すぎたからでも、そのビジョンを実現させようとやってきた人のせいでもない。しかしながら、失敗するとは誰にも予測がつかないことであった。この計画の発案者や開拓に参加した人々の経験不足が非難されやすいが、冒険的事業は常に予期せぬ危険をはらんでいるものだ。たとえ農作業の経験が豊富で、オーストラリアの状況を熟知していたとしても、最後の苦悶期間が少し短くなるだけだったであろう。経験のない者は他に取るべき道がなかったからか、最終的には好転するであろうと希望の灯火を抱き続けたからか、その土地に頑としてしがみついていた。事業が失敗に終わったのは、概して労働力の質の良し悪しではない。大抵の開拓者たちは、長時間の過酷な労働に耐え忍んだ。
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予期しえなかった大恐慌とその影響、そしてある地域ではその土質に不明の欠陥があった。1930年代の後半に少量ではあるが重要な土の要素が発見されるまで、この欠陥のある土質ではほとんど農業ができない状態であった。当時の政府が抱えた集団開拓計画の財政的負担は相当ではあったが、それ以上に人々が払った犠牲は、それを経験したものにしか図りしえないものだった。希望が失望へ、多くは絶望へと変わっていく中で人々の気力がしぼんでいった。
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