イギリスに帰国するための旅費に当てようと持ってきた僅かの蓄えと、子供たちの名義で預金していたなけなしの現金は使い果たしてしまった。いずれにせよ私たちは貧しかったが、奇妙なことに私たち子供はそのことに気づいてすらいなかった。おそらく、食事は質素であったものの、決して飢えることがなかったからだろう。さらに開拓地にいた他の人たちも皆状況は同じで、比べようがなかったからかもしれない。しかしながら大人たちにとっては、その結果は話にもならないほど酷いものであり、彼らは不当に評価され、さらなる苦悩を強いられていた。ある者はこの経験により気力を失い人生を破滅に追いやってしまった。
|
|
一方である者、特に子供たちは炎で鋼が強くなるように鍛えられ、その10年後に待ち受けていた厳しい世界大戦下をも耐え忍び、戦後の動乱期も渡り合うことができた。
父は、どの道を進むべきかわからず家族を落胆させていると感じていた。そのような状況で母は健康を害し、十二指腸潰瘍になってしまった。数ヶ月の闘病生活の末、終には生死をさまよう様にまでなってしまった。マーガレットリバーの病院で、診察と一時緩和の治療を受けてから手術のためパースに移された。その道中で衰弱した母は列車から担架で病院に運ばれた。
|