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Barefoot in the Creek

 

風向きが変わって飛んできた火の粉で小屋に火が付いてしまうことのないよう見張り番を置き続けた。枝の結合部分で燻っていた火が燃え尽き、時折枝が燃え落ちて火の粉が飛び散るのは目覚しい光景だった。結局、干草は無事で長い夏の間に牛が飢えてしまうのではないかと、心配していた父はほっと胸を撫で下ろした。不運な人もいて、ある夏に隣の人が干草から生じた火事で季節の全収穫を失ってしまった。

そのとき、他人事とは言えない苦境を痛感したものだった。
 喜び、恐れ、そして成すがままにならないのが自然の常であった。都会の人には危険と思われるようなことでも、私たちは難なく切り抜けてきた。自然を甘受し、十分に利用した。後年、こういった記憶を思い出すと、かのシェリーが言うところの「慣れという霧が感嘆に値するものを霞ませる」という言葉の如く、残念に思うこともある。