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【パースエクスプレス・マガジン】第172回 「日本に興味をもってもらえるような授業を目指す」 二木 響平さんのある日

今月の人

二木 響平(ふたき きょうへい)さん 33歳

 
中学3年生の時に訪れたシドニーへのフライトで飛行機に魅せられ、将来は飛行機に関わる仕事がしたいと思っていた二木さん。そのためにも語学力が必要だったため、日本の高校を卒業して、ブリスベンで英語を学ぶ。その後、大学に進学し語学に加え、友人の勧めで奨学金制度を取得して教育学をブリスベンの大学で専攻した。大学卒業後、飛行機に関連する当初夢みていた仕事、大学で学んだ教育学を活かして教員の仕事、語学を活かして日本で働くといった選択肢で就職活動を行う二木さん。活動の末、なんとパースから北に約400kmの町、ジェラルトンの高校での日本語教師のポストを得た。当時、日本人在留者は10人以下と言われたジェラルトンにて3年間、高校で勤務し、現在はパース郊外の高校で同じく日本語の教員として教鞭を取る。また、週末はパース長期滞在者ならびに永住者の子女を対象に国語の授業を行っているパース補習授業校でも教えている二木さん。そんな二木さんの週末の一日を紹介します。

 

ブリスベンからパースに移り渡った二木さん

 

大学に通いながらブリスベンの永住者の子女を対象にした学校でも日本語を教えていた二木さん。
 

大学卒業式の日にホストファザーと記念撮影。
 

年に一回はブリスベンへ行き、渡豪以来お世話になっているホストファミリー宅を訪れる。趣味のピアノをホストマザーに聞かせる。
 

勤務先のジェラルトンへは飛行機で。「ジェラルトンは教員として一歩を踏み出した最初の場所でした。そこへの移動は飛行機でしたが、機材が44人乗りのプロペラ機だったので、本当に驚きました。
 

写真はブリスベンからジェラルトンへ移り渡った2010年のパースの街並み。
 
 


8:40 am

 

平日は、パース郊外の高校で日本語を教える二木さん。当然、生徒はローカルの高校生になるが、週末は主に長期滞在者ならびに永住者の子女を対象としたパース補習授業校で日本語を教えている。授業が始まる前に同僚の教員と授業内容についてブリーフィングを行う。
 


9:00 am

 

授業開始。日本の小・中学校で使用する国語教科書を中心とした指導を行う他、様々な学習活動を通して日本人としての常識、知識、考え方や生活習慣を教える。
 


12:00 pm

 

授業が終わり、片付けをしながら同僚の教員とその日の授業内容を話し合う二木さん。
 


6:00 pm

 

この日は、パース補習授業校の教員仲間と日本食レストランで夕食。日本語を教える教員に留まらず、日本文化も受け伝えることを常に試みる二木さんは「生徒たちには楽しんで日本語を勉強してもらい、その先の“日本への興味”につながればと思っています。教えるという立場ですが、生徒からも多くを学んでいて、教員へのやりがいを日々感じています」と話す二木さんの一日でした。







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