「−ローザ・パークス逝去−」

だが、どうしても、あきらめがつかなかった。私は勝手に、パークスさんをアメリカの「良心」だと思っていた。なんとか彼女の生の声を聞くため、知り合いの大学の先生(を通して)と一緒に、2006年2月頃再度、インタビューの申し込みをする計画をしていた。だがそれも、もう叶わなくなってしまった。

 
あれは確か、91年か92年のことだった。米国ボストンで写真を勉強していたとき、新聞のイベント欄でパークスさんの講演があることを知り、興味津々で写真撮影に行った時のこと。小さな「黒人」(今は 'African American' と呼んだ方がいいのかな)の老婦人が、自分よりも60歳以上も年の離れた子どもたちに、笑顔でサインペンを走らせていた。

今からおよそ約14年前。ローザ・パークスさんが78歳の頃だったのだろう。
  私が中学生か高校生だった頃、日本の教科書で出てきた最初の勇気ある女性として、パークスさんが取り上げられており、その名前は私の頭の中にインプットされていた。
  「一体、どんな人なんだろうか」
  実は、本人を目の前にするまで、でっぷりと太った黒人の女性を想像していた。だが、実際はとても華奢な人だった。

 

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