自分がどういう考え方や生き方をするのか、その判断基準の「源」を見るようになったからだと思っている−そう考えつつ、同時にその源をどうして見ようとするのか?そのことまでも疑問に思うことである。
このように「なぜ、どうして」と、いつまでたっても際限のない疑問をするところまでたどり着いて来た−なぜ、私は外国に行く、なぜ私は写真を撮る、なぜ私は何かを伝えたいのか。なぜ私は疑問の疑問を考える−は、まるで、アルキメデスのパラドックスにはまった感がする。
「亀はアルキメデスの半分の速度で歩く。亀が先に出発して、
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後でアルキメデスが亀のところまで行くと、亀はさらに少し進んでいるので、またアルキメデスが亀のところまで行くと、さらに亀は先に行っている。アルキメデスは永遠に亀に追いつくことができない」
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