藤原氏は言う。「いかなるものも、時代と無縁であることはできない。時代に無縁であろうと、日本と無縁であろうと、日本脱出をはかったその行為そのものが、すぐれて時代的行為であったことを、やがて知る。」
写真を撮るというような創作活動をしようとすれば、自分がどういう影響を受けてきたのか、そのことをできる限り意識しておく必要がある−−組織に属すよりもフリーランスを好む、絵画や映画でなく写真、お金よりも充実感、学校や社会での対人関係図、恋愛関係遍歴、生い立ち、どんなTVを見てきたか、どんな本や雑誌を読んできたか、どんな生い立ちだったか、などなど。また、自分の育ててきた社会観・世界観に強く縛られてしまうと、目の前の現実が見えなくなる、ということだ。現実を切り取ると言いながら、実は自分の世界観だけを表現しているに過ぎなくなる。
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そんなことを考えながらたどり着いたのは、誰しも、時代を超えることができないということだ。だからこそ、私は思うのだ。創作活動をすることは、そういう限界が目の前にあるということを知りながらも、それでもなお、時代に立ち向かい、乗り越えようとすることではないのか。かっこよく言えば、時代への挑戦だ。
だが、このことを突き詰めていった結果、その挑戦をするという行為そのものが、今の時代を表している一つの社会現象になるのでは。そんな結論にも達してしまった。時代に挑戦するのが流行りの一つになっている。そう考えると、やはり時代を超えることはできないのか。そのことに気づいて愕然としてしまうのだ。
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