話は変わるが、グアテマラに入る4ヶ月前、私は、東南アジア最後の軍事政権国家ビルマに滞在していた。ビルマでは、かつてグアテマラで起こったことが、今、起こっている。政府批判をすれば、人生を捨てなければならない社会がそこにある。ビルマ滞在中、びっくりするようなことがあった。アウンサンスーチー氏を支持する人々が約20名ばかり、小さなプラカードを持って道路に立ったのだ。小雨降る中、無言で立つ人々。軍事政下で、政府の意に添わない行動をすれば、その後、何が起こるか容易に想像がつく。軍部に対して、拳を上げることはできなくとも、抵抗する人がいた事実は動かしようがなかった。私は写真を撮った。それは、私が外国人だから許されたことだ(数時間後、私はビクビクしながら飛行機で隣国タイに出国)。外国人だからしか(こそ)、関われないことがあることも知った。自分達の住む社会をより良くしようとする人々はどこにでもいるし、実際、いた。小さな声は止むことがない。
その止むことのない動きは、実は、権力者を怯えさせている。そのことも、知った。声を上げることの許されない社会。毎日、恐怖を感じなければ生きていけない社会。そんな社会は、まだまだある。果たしてそれは、外国のことだけだろうか。
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沢木耕太郎氏の著作に「シジフォスの四十日」(『馬車は走る』文春文庫)というのがある。石原慎太郎氏と美濃部亮吉氏とが東京都知事選を闘う様子を、石原氏の陣営から綴った作品である。結局、当時の石原氏は敗れた。その敗因を石原陣営の参謀、浅利(慶太)氏、と牛尾(治朗)氏が語る場面がある。
「(ふたりは)、口をそろえて『都民の判断は賢明だった』と言う。美濃部を叩き、僅差に迫い込みながら石原を当選させはしなかった。石原に対する不安というのは、『ファッショ的』などということより、もっと本質的なところに根ざしていたのではないか。都民はそれを敏感に感じ取っていた…。」
この石原氏の本質的なモノとは何なのだろうか。沢木氏は当時、遠回しに触れている。
「だが、この(石原氏の)細心さが人と対応する時に発揮されない。 とりわけ、不潔であったり無能そうであったりする者に対して、苛烈とも思える言動をとることがある。まさにこのような人々にこそ優しさは必要なはずだったのだが…。」
また、石原氏が、ホテルのボーイを叱りつける場面もあった。それは必要以上に激しい叱責であった。立場的に弱い者を、力がないが故に叩いていた。沢木氏は選挙の結果をこう結論づけた。
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