「自分のために」

 「8年前からずっと、グアテマラに来たかったんです!」そんな日本人女性に先日、出会った。「1年間、この国に住むんだ!」そう言って、張り切っていた。彼女が最初に落ち着いたのが、グアテマラの中の「異国」、観光地で名高いアンティグア。そこで現地の人の家に下宿しながら、少しずつスペイン語を勉強しつつ、現地生活を楽しんでいる毎日だ。しかし、そんな彼女が偶然、『虐殺の記憶』(岩波書店)を手に入れ、読み始めた。別の日本人は、その内容の重さに最後まで読み切れなかったというシロモノだ。彼女は、つい20年ほど前に起こったグアテマラの暴力の歴史を知ってしまった。
 「すごい国だったんですね。先住民の美しい衣装の国じゃないのですね。こんな国で、じゃあ私達は今、一体、どうしたらいいの。」
 本を読んで、この国に関わる当事者になってしまったようなリアクションにも驚いた。こう言うしかなかった。

 「確かに、この国の歴史はむちゃくちゃだけど、それはどんな国にもあること。この国が好きだと言うなら、今のこの国はどうなっている。それも知った方がいいじゃないかなあ。特に先住民族のことを。」
 でも、外国人として、何を知ることができて、何を知ることができないのだろうか。今のグアテマラには、一見暴力のない、平和になった日常生活しか見えない。そんな平和な暮らしは、日本に帰ってしまうと、取り立てて意識されないだろう。ショッキングな事件の被害者・加害者は記憶される。だが、例えば交通事故の犠牲者は記録されるが、当事者となった近親者や友人以外の者には記憶されることはない。それゆえ、市井の日常生活はありふれているからこそ、歴史には残されることは少ないだろう。そう、歴史という形で残された記録はこれまで、果たしてどんな取捨選択がなされてきたのか。その基準を、何かのきっかけで考えることができればいい。
 

 

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