カレンの武装闘争で、命を落とした外国人義勇兵の中には日本人 I もいた。西山は、I が自分より先に逝ったことに負い目を感じていた。I をカレンの101部隊に紹介したのも西山だったからだ。それもあって、どんなつらいことがあってもカレンから手を引くことができなかったようだ。先に逝った多くの戦友に少しでも近い現地で仕事をする必要性を感じていた。
 人は『死に方や場所を思い通りに選ぶこと』をできない。前線に立ってきた彼は、敵・味方にかかわらず多くの死を見てきた。それだからこそ、自分は「生きる場所と時間を選択した」と書き残している。自分を追い込んだ生き方だった。私は、彼のとった行動に純粋さを感じる。

 彼はカレンの実状を知ってもらうために、インターネットでの情報発信のため、パソコンでのホームページ作りに夢中になっていた。パソコンの使い方が分からなくなると、時間に見境なく、真夜中であっても、日本に戻っていた私に現地から電話をかけてきた。深夜2時、3時であろうと容赦はなかった。今でも、夜遅くまで起きていると、彼からの電話がかかってくるような錯覚にとらわれる。

— 自分の信じる道を歩んだ友へ —
  宇田有三
            
彼の作っていた、義勇兵としての立場を述べているHPを、私の責任編集で復活させました。もし、興味のある方はアクセスしてみてください。 http://www.uzo.net/notice/lin/freedom/freedom.htm


 


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