対外的には義勇兵士としての顔を表に出していたが、カレンのためにさまざまな仕事をこなしていた。日本に戻ると、建設現場の人夫や引っ越しのアルバイトでお金をため、カレンの人たちが必要とする医薬品を買ったり、子どもたちのためにおもちゃや文具品なども買い揃えていた。難民の食料を確保するため、日本の援助団体を回ったりもしていた。しかし決して、聖人君子のような行動ばかりではなかった。彼に対する不評も聞いたことがある。
 亡くなる数年前からは、戦闘に参加するより、カレンの人たちと移動診療隊を組織して、山深いカレンの村に入っていた。実戦に参加する体力がなくなってきても、自分にできることを精一杯やり遂げようとした。
「村には入ってくれるな、カレン民族同盟に関係する者が村に来ると、それだけでビルマ政府軍から略奪や虐待を受ける。」
 医薬品を持って、苦労して山越えをしてたどり着いたカレンの村で、村長から言われた。その言葉を聞いた彼は、怒りを通り越して悲しんだという。カレン民族のために命を失った多くの戦友は何のために闘ってきたのか。自分も銃を持ってきただけにやりきれなかったという。

   


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