日本人を知っているカレン人が真っ先にあげるのは彼の名前だ。現在のビルマ軍事政権に与する日本企業のことが現地で話題に出るとき「カレンを想う、こういう日本人もいるじゃないか」と、私はそんなふうに、言い訳できた。私には彼の存在が唯一の罪滅ぼしだった。
タイ・ビルマ国境のホテルに滞在中、取り立てて用事もないのに、よく彼から電話がかかってきた。体力と気力の限界を必要とする最前線から町に戻ったとき、妙に人恋しくなる。自分もそうだった。その気持ちを分かち合える人は、経験した者同士でしかできない。平和な町を見ていると、それだけで寂しさがこみ上げてくる。今、思うに、私は彼とその寂しさを分かち合えていたようだ。そう信じたい。
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多くの取材陣が西山の「ツテ」でカレンの支配区に取材に入って行った。しかし、私は取材の件で一度も彼に便宜を計ってもらったり、取材依頼をしたことがなかった。私は自分の独自ルートでカレンの取材をしていた。あくまでも彼とは「依頼する・される」の関係を持ちたくなかった。そのせいか、彼からいくらかの信頼を得ていたと、今になって感じる。2人だけの情報や行動を、しばらくして、いくつも築きあげることができたからだ。
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