ビルマの国内問題は、本当に民族問題なのか?
もちろん過去のビルマ取材は、単に国境地帯からだけのみ続けていたのではない。首都ラングーンからも93年、96年、98年、2000年と4度入っている。もちろん、カレン人だけでなく、ビルマ人との接触もしてきた。ただ、これまでの首都からの取材は、最長1ヶ月という短期間だった。だが、今回は運良く、当局の「網にかかることなく」、首都滞在を半年近く継続している。もっとも正直なところ、滞在3ヶ月を過ぎる頃から、取材者というよりも生活者という感覚を持ち始めてきた。
入国してからの1ヶ月は、毎日続く停電にイライラしていた。滞在中のホテルでパソコンの機器を使っている時、それも午前中のほんの数時間の間に、4回も停電・復旧を繰り返されると、頭にくる。
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いきなり、なんの前触れもなく、ふっ、と突然電気が切れるのだ(隣国タイのホテルに滞在中、停電はあったが、前もって何時から何時まで停電しますと連絡があった)。ところがそんな不便も「時間」が解決してくれた。一見不自由な生活も慣れてしまうと、突然の停電も苦にならなくなってくるから不思議である。人間は、ある程度の不自由には適応できるのだ。
昨年10月に1杯450K(チャット=現地通貨)だったどんぶり麺は、今年3月には600Kへと値上がりした。物価の上昇は激しく、市民生活の厳しさは続く。
情報統制は厳しい。ビルマ語の日刊紙は2紙、ニュースを伝える国営のTVは2局(英語とビルマ語)、英語の国営紙は1つある。民間の隔週誌(英語版)もあるが、やはり厳しい検閲を受ける。自由な報道は許されていない。
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