母親に年齢を尋ねてみた。34歳か。子は4ヶ月。全部で4人の子どもがいる。母親は「コォン」を噛み過ぎで、口の中が真っ赤だ。ねっちゃりとした口を直視するのはあまり気持ちがいいものではない。どこに住んでいる?聞いたこともない通りの名前を告げられる。そんな通りはしらないな、と言うと、身体をくねらせ、すぐ近くの通りを指さす。そうか、そんなに近いのか。でも、それを聞いてどうする。而して、ここで会話はとぎれる。しかし言葉を交わしたことで、最低限、この母親の表情は変わったのだ。もっとも、こんな会話のやりとりもこちらの一方的な自己満足と、過ぎた思い入れにすぎないのかもしれない。
 ビルマ政治の不正義に関心を持ち、ずっとこの国に通い続けている。だが、果たして自分はここに住む人をどれだけ理解しているのだろうか。果たして理解など出来るのだろうか。外国人として、単に天下国家や政治の行く末を論じるだけでいいのか。

 

 こちらに来て、いろいろな人に触れていくにつれ、もっと深いところに行き着くような気がしてきた。もちろんどこに到達するのかは分からない。もしかしたら異国に暮らし始めて、何か錯覚をしているのかもしれない。だが、何かがひっかかるのは確かである。一体、それはなんなのだろうか。
  昨年5月、自宅軟禁中のアウンサンスーチー氏が解放されたとき、「この国の問題は実は民主化問題ではなく、民族問題である」と新聞に書いた。だが、こうやってビルマに来て、ここに暮らしている人々に接すると、実はビルマの問題は民族問題でも、民主化の問題でもないような気がしてきた。政治問題にすり替えた、何らかの問題が背景にあるような気がしてきた。政治だけを語って、人の暮らしや生を語らぬようになってはならぬのだ。果たしてこの1年、ビルマで暮らしながら、おぼろげに感じる何かに具体的にたどり着けるのだろうか。  

つづく

   


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