今回ビルマに入って数ヶ月の間、どのくらいの物乞いと出くわしたのであろうか。夕暮れ時、暗くなった食堂の中、食事をするビルマの人達のテーブルを一つ一つ回る年老いた女性。人が行き交う下町、華やかな洋服屋の前、生ぬるいエアコンの排気筒の前で座り込む片足の男。中華街のお寺の前、薄暗くなった通りで寝込んでいる若い女。その女のはだけた胸にむしゃぶりつく赤ん坊。その赤ん坊をあやすもう一人の幼い男の子。その男の子の前には小さな箱が置いてある。箱の中には5チャット札や10チャット札がのぞく。通りに据えられたゴミ箱をのぞき込んでいる子ども達。外国人と見ると、その後を追う。屋台で200チャットの丼麺を食べる母子に手を出す10歳にも満たない女の子。不自由な身体を引きずって、地面を舐めるように這い回る男がいる。

 

  傍らにいる男の子の手には、施しの紙幣の入った器が握られている。そんな男と子どもの組み合わせが2つ、偶然通りで出くわした。4人の人間が道路に這いつくばり、道行く人の流れを妨げている。彼らにお金を渡す人、そのままよけて通り過ぎる人、それぞれいる。
  そんな風に出会った路上の人達を、いや、実際に私に手を差し出した人を数えたら、ゆうに100人を越えるだろう。そういえば、昨年9月初め、カンボジアの首都プノンペンの現状を伝えるべく、日本からの学生6人を現地案内したことがあった。カンボジアも路上生活者が多く、外国人は物乞いと出会うのが常だった。ある時、学生の一人から問われたことがあった。「どういう基準で施しをしているの?」と。「特に基準はないなあ」。それが答えであった。よくよく考えてみても、自分の中ではっきりとした区別があるわけではない。

   


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