ところがこの時、つらい記憶を思い出したというより、この孤独な作業の結末に新鮮な驚きを持った。想像もしなかった具体的な事柄が浮かんできたのだ。自分の冷静さに、喉の奥深く、一瞬爆発しそうになった嗚咽の固まりを呑み込んだ。
感情的になるよりも、客観的に自分自身を見ていた。現像液に浮かびあった画像を見ながら自分の過去を振り返りながら、「いったいこれはどういうことだ」と考えている自分を見つめる第三の自分がいた。
その第三の自分が考えていたのは、この思いや気持ちを、どのように写真で伝えるのか。それは可能なのか。言葉で、簡単に表現してはならない。それは単なる自己憐憫に陥るだけだ
─ 自分でも驚くほど、
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己を分析していた。
人は自分の経験の範囲でしか物事を判断できない。その判断を基準として人間関係や社会を判断しがちだ。いくら想像力を働かせるといっても、自ずと限界がある。その超えようのない現実を受け入れなければならない。一人の人間には、できることとできないことがあるのだ。
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