シャッターを切れなかった。そういうことは本当に起こりうるのだ。それを肝に銘じている。写真を撮るというのはやっぱり奥が深いな、と思う。その行為の背景には、考える・感じる・知る・記録と記憶・覚悟する・行動する、さまざまな要素があると思う。
写真を撮れなかった当時のことを思い起こしてみる。「家族っていいな」と思ったという事実がある。しかし、現在の自分の生活を見てみると、いわゆる一般的な「家族」を持たない生き方を選択している。以前、「いいな」と思った姿が一方であり、今は、あえてそれを望まない方向に進んでいる。そんな矛盾した自分の姿も考えさせられるのである。
カンボジアのゴミ捨て場で昨年末、助け合う子どもたちの姿を見て胸を痛めた。
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ゴミにまみれて一生懸命に働く、10歳前後の子どもたちの姿を見ていたときのことだ。彼らの姿と、彼らを見ている自分の姿を同時に想像して胸を痛めた。それは、10年前の「家族っていいな」っていうことにつながっていた。時期や地域は違えど、人の優しさや思いやりはどこでも同じなのだと感じた。さらに、いつも自分は傍観者なのだと痛感した。
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