当時、そこに住みながら、人との交わりがあった。よく買い物に行ったパン屋のおばちゃん、食堂のおじさんを思い出す。言葉は交わさなくても、定期的に通えば人と人との交流があったのだ。そういう関わり合いの思い出が、無意識的に深い郷愁を誘うのだ。単なる場所への思い入れは少ない。そこで暮らしたときの匂い、音、空気、風景、時間など、動物的な五感を記憶に織り込んでいくのだ。
 土がアスファルトになり、徒歩が車・電車になっていく。自然性から離れていく人間。自然の体感を失っていく人間が現れた。だからといって、不便な過去に戻れといっているのではない。

 

それは、今のこの社会は現実なのだから。ヒトとしての感性を失いつつある生物社会の出現はなぜ生まれてきたのか。電車の車窓から流れ行く風景を見ながら、その理由をかいま見たような気がした。 
 ふと周囲を見渡すと、電車の中は不機嫌な顔の人々が大半だ。私にはそう思えてしかたがない。おそらく窓に映った自分の顔も不機嫌なんだろう。携帯電話のボタンを押し続ける老若男女たち。どうあがいても自然には逆らえない。いつの日にかそのしっぺ返しが怖い。その恐さを感じている。
 さらに私が恐怖を覚えたのは、その人間の「体感・感性」の後がまに、一体何が居座り始めたのかを想像したときだ。



 


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