[第14節] 電撃移籍
結果的にチームも決勝シリーズに進むことができず、8チーム中5位でシーズンを終える。そして、オフシーズンが始まった。しかし、石田はオフを返上して、体に鞭を打つ。シーズンを通して、満足のいかない自分へのサッカーを戒めるかのように、マレーシアに飛んだ。このジョホールFAへのレンタル移籍は、自分からの希望だった。なぜなら、次のシーズンのため、いつでも体をフィットさせていたかったからだ。しかし本当の狙いは、更なるステップアップ、つまり移籍だったのかもしれない。 Aリーグ閉幕も間近い今年1月、石田は今後のサッカー人生に大きく影響を及ぼす人物と電話で話をしている。その人物とは、Jリーグのヴァンフォーレ甲府の監督、大木武氏だった。石田と大木氏との接点は、石田が清水エスパルスに入団した1998年から戦力外通告を受けるまでの約1年半である。当時、大木氏は同チームのアシスタントコーチを務め、石田の指導にあたっていた。当時のことを石田はこう振り返る。「若かったから物事を謙虚にみることはできなかった。ブラジルから帰ってきたばかりで、自分に力があると過信していた。そのため、自分を指導してくれた大木さんとは正直、反りが合わなかった」と話す。 |