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Barefoot in the Creek

 

学校まであと1キロのところで、T型フォードが停まり、運転していた牧師が「礼拝に行くのですか」と声をかけてきた。「そうです」と言うと、車に乗るよう勧められ、私たちは乗り込んだ。思いがけず車に乗ったことが記憶にしっかり残っているのは驚くべきことだ。このような出来事はどうと言ったことでもないが、時代と場所を鑑みれば滅多にないことであった。現代の車社会に生きる孫の世代は、60年後にどのような事が鮮烈な思い出となって残るのだろうか、と考えるのも興味深いことである。レジ ソルター牧師は苦闘している開拓民とそこで上手くいかなかった者のために力を尽くした。携帯オルガンで賛美歌を弾いてくれる夫人とともに月に一度礼拝に来てくれた。恐慌時の開拓民の試練と困難な状況がこの親切な牧師の心と魂に重く圧し掛かり、

係わる人の幸福のために自分自身と家族をかなり犠牲にしていた。牧師はひどい喘息を患い、心身ともに疲労し、尽くして若くして亡くなった。他の人を案じるがあまり、自分の幸せを構わなかったことが死を早めたのだと私は今でも信じて疑わない。牧師の社会への貢献は、美しいグワラムプ湾のグーレスタウンに残る彼の名前に因んだ道と共に、後世に語り継がれている。
 葬儀屋を頼めない開拓民のためにソルター牧師は間に合わせの棺を何度となく作った。その時の葬式といっても簡単なもので、教会での式の後、棺を軽トラックに乗せ、会葬者も荷台に乗り込み、棺の上に腰掛け墓地に向かった。そういったことが集団開拓地の生と死に関する実用主義といったものだった。