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Barefoot in the Creek

 

 1929年の入学者のうち3人が学士を取ったことからも当時の教師の献身的な教えと人柄を伺い知ることができる。また、学校には郵便受けも設置され、学校が終わると子供達は郵便受けを確認し、故郷からの便りを待つ親に手紙を持ち帰った。
 学校がないことを心配したのと同様に、両親、特に母は開拓民の宗教心に応える機会があまりないことを案じていた。両親は組合教会派に属していたが、信仰はそれと気づかないほど素朴なものであった。しかし、寛容な宗教観で他の宗派や宗教の人も受け入れていた。一方で宗教が子供たちの人生に影響を与えてくれることも価値のあることだと考えていた。開拓地で初めて出席した礼拝は、

バセルトンに組合教会派の若い見習の牧師が招集した洗礼だった。数ヶ月前にここに到着して以来、初めての礼拝だった。イギリスでは欠かさず教会に行っていた両親は、ずっと礼拝に行けないことを残念がっていたので、父が礼拝に行くことを決めたことは当然であった。集会所に母が手のかかるメアリーを連れて行くにはあまりにも遠かったため、マージェリーと私が父に付いて行った。また、新しい学校での最初の宗教行事は、モール牧師が行ったイギリス国教会の礼拝だった。両親は出席しなかったが、私たち子供は行くように言われた。他の子供たちとでこぼこのブッシュ道を歩いていた時の記憶が鮮明に残っている。