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Barefoot in the Creek

 

第5章 日常生活



 農場では日々の生活が繰り返されたが、決して退屈なものではなかった。搾乳や伐採をし、柵や排水溝を作ったり家畜の世話をすることは切れ目なく続き、季節ごとに行う特別な仕事が単調な生活に変化をもたらしてくれた。
 晩春は干草作りの季節だった。草の育成を助けるために軽い放牧をする場所を除いて、牧草地から牛を締め出した。夏は牧草がまばらにしか生えなくなるので、その代わりに牛にやる干草用の草を確保した。干草作りは疲れるが楽しい作業だった。晩春の田舎を訪れるとき、時折十分に乾いた干草のあの独特の甘い匂いが今でも蘇ってくることがある。収穫期はいつも心配の種だった。干草を乾かしているときに雨が降ればカビが生えて飼料としては全く使い物にならない。ある年には、父が地元の材木工場の作業員を5、6人雇い、家庭料理とわずかの現金を交換条件に干草の収穫を手伝ってもらった。

この男たちは実に陽気で、森の中や製材所での重労働で鍛えられえた逞しい体をしていた。ヨーロッパから来たばかりで言葉が不自由なのにも関わらず、一日中良く働いてくれただけでなく、楽しんでいるようでさえあった。今思い返してみれば彼らが陽気になるのも無理もないことだった。材木を切り出すことに比べれば干草の収穫は子供の戯れのようなものだし、妻や恋人を故郷に残し独身宿舎で暮らしていた彼らにとっては、贅沢な家庭料理と家庭的な雰囲気は普段の男やもめの生活の食事と比べて喜ばしいものだったに違いない。