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Barefoot in the Creek

 

 開拓者にあてがわれた牛は馬ほど良質ではなく、雑種もいいところであった。長旅を経てさらに道中で手荒に扱われた牛たちは興奮し、体調も悪かった。興奮した牛が数日間逃げ回っていたこともある。すべての牛に名前がつけられた。最初に来た牛はベティとモリーといい、牛の数が増えるに連れ名前を考えるのが家族の楽しみとなった。どの農場でも見られるように、思いがけない感動的な出来事や不運な事故が起き、日々の単調な生活に変化を与え、井戸端会議の話題にもなった。川や沼地に落ちた牛の救出劇や出産などがそういった出来事の一例だ。私たちは養豚もするようになった。もちろん鶏も飼ってはいたが、これらはきつねや大トカゲそしてディンゴに荒らされもした。

 
農業の経験はなかったので、私たちは仕事をしながら農場の管理方法を学んでいった。“私たち”という言葉をあえて使うのは、子どもは子どもなりに父といっしょになって学んでいたからだ。本や雑誌、それに農業の経験者がわずかながらもいて、いつでも教授してくれ助言してくれた。このようにして多くの知識を得たが、農業についての具体的なことを何でも知っていた監督からも多くの情報を与えた。