新しく移った場所のハンピーの状況も決してよいとは言えなかったが、いずれ大工たちが耐久性のある住居を建ててくれるということで近い将来の改善の見通しも立ち、どうにか耐えられそうであった。父は毎週月曜日と木曜日に20キロ離れたマーガレットリバーまで食料の調達や郵便物の回収に出かけた。翌日には購入したものを開拓者に配りまわり、次回の注文を聞いた。社交的で明るい性格の父には打ってつけの役回りだった。父は日々の雑事にも慣れ、前回の経験を生かして二つ目の井戸も掘った。私たちは以前よりも惜しみなく水を使えるようになった。1ヶ月ほど経って、大工たちが家を建ててくれた。質素ではあったものの生活状態は格段に良くなった。両親はイギリスの洗練された居心地のよい家を懐かしんではいたが、私たちの前では決して愚痴をこぼしたり、恋しがったりはしなかった。
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けれど、食卓では両親がいずれ子供たちに身につけてほしいとイギリスのたくさんの良い趣味に関する話がされた。怠惰にならず身の程の望みを持つことが幸せの秘訣であることも両親の姿から学んだ。父と母はイギリスの親戚や友人にオーストラリアでの厳しい生活を隠すことにした。そのことは両親の楽天的な面と合わせて母が故郷に送った手紙から窺い知れる。
…2月8日にフリーマントルに到着後、17日に開拓地に着きました。問題なくやってますし、今のところこちらに来たことを後悔することはありません。…たくさんのイギリス人に会いましたが、誰も帰りたがりません。子供たちもここでの生活が気に入っているようです。みなさんはいかがお過ごしですか。ピアノがなくてとても寂しいのですが、他にたくさんの良いことがあるので忘れるようにしています。
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