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Barefoot in the Creek

 

 翌日、親方がやって来て、父に井戸を掘る仕事を割り当てた。最初のうちは簡単そうに見えたが、次第に父の軟らかな手には水脹れができ始めた。すでに硬くなった手をした隣人が助けに来てくれ、知恵も授けてくれたが、父は手を抜こうとはしなかった。4メートルほど掘り進むと水が染み出てきた。井戸が深くなるにつれて、湧き出る水の量は増え、最終的にはオーストラリアに来て初めてまともな風呂に入ることもできた。大変価値のある仕事だった。
 近所の人が挨拶に来てくれたとき、私たちがいずれ移る野営地はもっと良いだろうと励ましてくれた。野営地(または敷地)と呼ばれるのは、最初の開拓者たちが集団で野営生活をしていたからだ。


私たちの集団はグループ85と呼ばれ、1930年代半ばにオズニングトンと命名された。先に何が待ち受けているか、はっきりとはわからないものの、両親は幾分ほっとした気持ちで荷物を再びまとめ、1ヶ月ほど堪え忍んだ地を後にした。