パースグローリー・ウィメンの2024-25シーズンは、6勝13負4引分けのリーグ10位(全12チーム)で終わった。同時にプロ1年目として臨んだ須永未来選手のシーズンも幕を閉じた。
コロナ禍で先延ばしになった後の2022年2月にオーストラリアのニューサウスウェールズ州(NSW州)シドニーに入国。サッカーのNPL(National Premier Leagues/オーストラリア2部リーグ相当)で3シーズンのプレー経験を経て、自身初となるプロ選手として2024年10月にパース入りしたパースグローリー・ウィメンの背番号14番、須永未来選手。ポジションはミッドフィルダー。兄の影響で小学校5年生からボールをけり始め、中・高・大学、そしてアメリカで2年間、ボールを追い続けた。アメリカから日本帰国後、自身の出身大学の大学院でもプレーを続行していたが、オーストラリアのコロナ規制緩和とともに渡豪。シドニーでは日本人経営のサッカースクールでコーチをしながらNPLでプレーし、3シーズン目にはNSW州のNPLリーグ最優秀選手賞を受賞した。
パースに来て3ヶ月が過ぎた1月24日、シーズンもちょうど半分を過ぎた頃、クラブハウス近くのカフェで須永選手に話を伺った。そして、残りもう半分の11試合を終え、シーズン最終戦後の4月14日にも話をお聞きした。
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【インタビュー:1月24日】
開幕戦で得点を決め、鮮烈なデビューを飾った。その後もコンスタントに試合に出場し続け、1月に入り3試合連続でスタメン・フル出場と気を吐くも、なかなかチームの成績には反映しなかった。
質問:NPLからA Leagueへのスケールアップは憧れのケースモデルだと思いますが、当時のご自身の心境を教えてください。
「“びっくりした”その一点だけでした。メディアとかにも書かれましたが、こんな書き方をするんだと他人事のように見ていました。その後の(サッカーへの)モチベーションにも特にならなかったですね。正直、嬉しさというのもなかったです」
質問:ただ、今までプロを目指してプレーをし続けてきたのでは?
「日本の大学卒業後の進路やアメリカでプレーしていた時、シドニーのNPLでプレーしていた時も、(プロになろうとは)一切思わなかったですね。ただ、(サッカーは)どっかでできたらいいかな、まだ動けるし、ぐらいだったので・・・」
質問:なぜプロサッカー選手としてパースグローリーでプレーすることになったのですか?
「シドニーでのNPLチームの時の監督が、パースグローリーの監督に就任したのがきっかけです。シドニーでは(その監督の下)3シーズンプレーしていましたが、その監督が声を掛けてくれました。プロになりたい選手がプロになるために越えなければならない壁を越えてなっていると思うし、基本的にみんなそうだと思います。ただ、自分は特殊なのかもしれませんね。良くない言い方かもしれませんが、なりたくてなったわけじゃなく、その監督が自分のことを気に入ってくれて、ここへ連れてきてくれたといった感じです」
質問:今シーズンのパースグローリーでプレーするモチベーションは?
「声を掛けてくれた監督にはとても感謝しているので、監督の気持ちに報いるように頑張ろうとうと思っています。それと、シドニーのサッカースクールでコーチをしていた時の教え子だった子どもたちの応援はシーズン中のモチベーションになっていると思います。シドニーでのアウェイゲームでは子ども達が目を輝かせて試合を応援しに来てくれました。子ども達にとってコーチだった自分がプロ選手としてピッチに立っているところをみせてあげられているというのは、特にプロ選手になりたいと思っている子ども達にとって良かったと思います」
<2024年11月10日の対Newcastle Jets戦(Round 2)。試合は3対2でグローリーが勝利。須永選手はスタメンで88分までプレーした。試合後、監督のStephen Petersと握手を交わす(写真2枚目)(写真1枚目/Photo: Perth Glory Women)>
<2024年11月15日のBrisbane Roar戦(Round 3)。試合は3対0でグローリーは敗戦。須永選手はスタメンで45分間プレーした(Photo: Perth Glory Women)>
質問:プロとなりAリーグでプレーすことになって感じたことは?
「Aリーグはフィジカルが重視されると思いました。まずはフィジカルで勝って、初めて“技術がどうだ?”というところに目が行きがちです。例えば、パスをもらったとしても相手選手のフィジカルで潰されているケースがあります。ただ、実はその場合、パスを出す選手側が、技術がそこまでないから(パスの)タイミングや出す場所を誤って(受け手が)潰されるこことが多くありました。自分も監督に言われるのは“Be Strong”ですし」
質問:シーズンはちょうど折り返し地点となりましたが、残りの試合への意気込みは?
「プロのサッカー選手になるということは凄いことですし、そこまでいこうと思ってもいけない選手がいっぱいいるのもわかります。ただ、自分はプロサッカー選手になるというのを目標としてきたわけではなかったです。自分のサッカーのゴールは、“あの感覚”をもう一度味わうことで、サッカーは続けてきました。あの感覚とは“ゾーン”とでも言うのか・・・、高校2年生の時に一回、その後ももう一回、今まで2回味わっています。周りが全部止まって見えて、こうすればこういう風になるというイメージが完璧にできあがり、そして、それ通りに自分が動けて、それ通りに事も進むっていう経験です。そのゾーンをもう一回経験したいと思っています」
<2025年1月4日のWellington Phoenix戦(Round 10)。試合は2対0でグローリーは負けるも、須永選手はスタメンで90分間プレーした(Photo: Perth Glory Women)>
<2025年1月10日のSydney FC戦(Round 11)。試合は1対1で引き分ける。須永選手はスタメンで90分間プレー(Photo: Perth Glory Women)>
<2025年1月26日のBrisbane Roar戦(Round 13)。試合は3対2でグローリーが勝利。須永選手は77分からプレーした(写真上5枚)>
【インタビュー:4月19日】
2月の後半から古傷が痛みだしてまともに練習に参加できなくなった。そして、3月から試合にはベンチ外となり、練習はリハビリに専念することとなった。4月18日のリーグ戦最終試合のMelbourne City戦もベンチ外として同僚のパフォーマンスを見守った。
質問:3月からの7試合は残念な思いでしたか?
「何年も酷使していたので、また痛みが出てしまったようです。ただ、一旦休めてもいいのかもしれないという精神状態にもなったので、やむを得ないでしょうね」
質問:プロ一年目のシーズンを振り返り、いかがでしたか?
「チームとして、結果的に思ったことが実現できなかったシーズンだったのかなと思います。個人的には、いろんな意味で難しかったですね。正直、納得いかないところもありました。でも、良い経験になりました」
質問:今後について伺えますか?
「次のシーズンのことよりも、まずは5月からのNPLの試合に集中して、頑張ろうと思います。もしかしたらまたあの“ゾーン”がみえるかもしれないので・・・」
<試合後、円陣を組むパースグローリー・ウィメンの選手とスタッフ(写真上)。ファンのサインに応じる須永選手(写真下)>
須永選手のプロ1年目は、14試合に出場し、うちスタメンは7試合、得点は1点だった。既に各州のNPLのシーズンは開幕しており、もうそこに照準が絞られているようだ。
須永 未来(すなが みく/Miku Sunaga)
生年月日:1995年2月18日
出身:群馬県館林市
ポジション:ミッドフィルダー(MF)
【文】 今城康雄(いまなりやすお)。パースの日本語メディア「The Perth Express」の代表兼、編集長。2005年のAリーグの開幕以来、リーグ公認のメディアとなっている「The Perth Express」のジャーナリストとしても、パースグローリーのホームゲームはほぼ全試合、記者席より取材を重ねてきた。また2020年は、パースグローリー日本地区担当マネージャー兼通訳として太田宏介氏をサポート(関連記事はこちら)。2022年にはWA州のNPLで活躍した今田海斗氏の通訳も行う(関連記事はこちら)。
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