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シリーズ 185 (最終回)「漂泊のフォトジャーナリスト」
シリーズ 184 「記者としてのフォトジャーナリスト」
シリーズ 183 「写真家としてのフォトジャーナリスト」
シリーズ 182 「ビルマ(ミャンマー)の25年ぶりの総選挙が終わった」
シリーズ 181 「<Room 411>に暮らして(3・下)」
シリーズ 180 「<Room 411>に暮らして(3・上)」
シリーズ 179 「<Room 411>に暮らして(2)」
シリーズ 178 「<Room 411>に暮らして(1)」
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シリーズ 176 「記憶と記録の交叉(5)」
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シリーズ 174 「記憶と記録の交叉(4)」
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シリーズ 171 「記憶と記録の交叉(2)」
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Vol.178/2012/11
「ビルマ(ミャンマー)の『ロヒンジャ問題』を手がかりにして(3)」
ビルマ(ミャンマー)の南部タニンダーイー州の最南端の漁村にはマレー系のムスリム人、パシューの人びとが暮らす。
前回(本誌Vol.177)の話
で、バングラデシュは現在、人口1億5,000万人の9割以上がイスラームを信奉する国だが、もともとは仏教国(ヒンズー国)だったということをおおざっぱに説明した。そのバングラデシュ東部の都市コックスバザール近辺に、隣国のビルマ(ミャンマー)からロヒンジャと呼ばれるイスラームを信奉する人びとが避難民として逃げ込んでいる。
人口約6,000万人のビルマは、上座仏教を信奉する人びとが約85%を占め、キリスト教、イスラーム、精霊信仰などがそれぞれ5%ほどの割合だといわれている。ビルマでのイスラーム教徒(ムスリム)は、スンニ派がほとんどで、シーア派は全ムスリムのうち1%も満たないとされる。しかし、ビルマ国内では、この国特有のムスリムについて、別の区別がある。というか、ムスリムを宗教の枠組みではなく、ムスリムを「ムスリム人」としてひとつの民族として捉えている実態があるのだ。
私はこれまで、1993年以来20年間、ビルマ全土を歩き回ってきた。その際、もちろん最大都市ヤンゴン市内でもそうだったが、出会った人に必ず投げかける問いがあった。
「バー・ルミョー・レー(あなたは何人ですか?)」
「ベ・ガラレー(出身はどこですか?)」
「ブッダバダーラー?(仏教徒ですか?)」
これらの質問の回答を直接聞くことによって、ビルマ国内の民族の多様性を肌身で感じることができる。