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シリーズ 185 (最終回)「漂泊のフォトジャーナリスト」
シリーズ 184 「記者としてのフォトジャーナリスト」
シリーズ 183 「写真家としてのフォトジャーナリスト」
シリーズ 182 「ビルマ(ミャンマー)の25年ぶりの総選挙が終わった」
シリーズ 181 「<Room 411>に暮らして(3・下)」
シリーズ 180 「<Room 411>に暮らして(3・上)」
シリーズ 179 「<Room 411>に暮らして(2)」
シリーズ 178 「<Room 411>に暮らして(1)」
シリーズ 177 「再度—『ロヒンジャ問題』をてがかりにして」
シリーズ 176 「記憶と記録の交叉(5)」
シリーズ 175 「観光コースでないミャンマー(ビルマ)」
シリーズ 174 「記憶と記録の交叉(4)」
シリーズ 173 「宇田有三の世界に触れる」
シリーズ 172 「記憶と記録の交叉(3)」
シリーズ 171 「記憶と記録の交叉(2)」
シリーズ 170 「記憶と記録の交叉(1)」
シリーズ 169 「抗いの彷徨(9)—下」
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シリーズ 151 「『ロヒンジャ問題』を手がかりにして(7)」
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Vol.178/2012/11
「ビルマ(ミャンマー)の「ロヒンジャ問題」を手がかりにして(3)」
上ビルマ・マンダレー近郊には、ポルトガル系の子孫でバインジーと呼ばれる青や緑色の目をしたカトリック教徒がひっそりと暮らしている。
そう、ビルマ国内には大別して6つのムスリムがいる。「バマー・ムスリム」と呼ばれるビルマ系、インド系/パキスタン系、「パンディー」という中国系、「パシュー」というマレー系、「ロヒンジャ」と自らが名乗るベンガル系、そして15〜16世紀に中東から西ビルマにたどり着きラカイン州にその子孫を残す「カマン」である。
これらムスリム人の中で「バマー・ムスリム(ビルマ・ムスリム)」が、人口が一番多い。彼らはビルマ語を話し、イスラームを信仰している以外、生活や風習は一般のビルマ人と同じである。
また、ムスリムは全人口の約5%と推定されるが、実際ビルマ各地を回ってみると、彼らの人口は10%にも15%にも感じることがある。それには、ムスリム人同士の団結の強さと経済的な成功が考えられるのだ。
私は、ヤンゴン以外で行動する時、その土地をできるだけ自由に見て回るため、バイクを使うことが多い。まずは宿泊先のホテルやゲストハウスでバイクの手配をする。だが、軍政下(当時)で、外国人相手にバイクを貸してくれる業者(バイクの修理屋とか)はほとんどいない。もちろん、私はビルマ政府発行の正式な運転免許証を取得している。バイクを借りる手配をする際、その運転免許証を提示するのだが、なかなかうまくいかない。
そんな時、訪問先で、その土地ゝのムスリム人のコミュニティに足を運ぶと、まずは大体、バイクを借り出すことができる。問題は値段交渉だけである。あるとき、バイクを貸してくれたムスリム人の一人に「政府が怖くないのかい?」って聞いてみた。すると、「怖い?ま、ちょっとはね。でも、何も悪いことをしていなければ全然問題ない。それに、俺たちは団結しているから、何があっても怖くないよ」と胸を張って答えてくれた。
まさに彼らは、ビルマ(ミャンマー)の軍政下で、強く生きるムスリム人たちであった。
さて次回は、ロヒンジャ問題を語る際に押さえておかねばならない〈「ビルマ」と「ミャンマー」〉という呼称の違いを改めてふり返りたいと思う。
(続く)