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シリーズ 184 「記者としてのフォトジャーナリスト」
シリーズ 183 「写真家としてのフォトジャーナリスト」
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シリーズ 181 「<Room 411>に暮らして(3・下)」
シリーズ 180 「<Room 411>に暮らして(3・上)」
シリーズ 179 「<Room 411>に暮らして(2)」
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シリーズ 176 「記憶と記録の交叉(5)」
シリーズ 175 「観光コースでないミャンマー(ビルマ)」
シリーズ 174 「記憶と記録の交叉(4)」
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シリーズ 171 「記憶と記録の交叉(2)」
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Vol.178/2012/11
「ビルマ(ミャンマー)の「ロヒンジャ問題」を手がかりにして(3)」
ビルマ政府は1983年に行なった民族調査で、国内のいわゆる8大民族の下に135のサブ民族が存在していると規定した。ビルマ(ミャンマー)における8大民族とは、ビルマ(バマー)民族、カチン民族、シャン民族、チン民族、カヤー(カレンニー)民族、カレン(カイン)民族、モン民族、ラカイン(アラカン)民族である。だが、もちろん民族の下のサブ民族の区分けは、民族をどのように定義づけるかで、その数はもっと少なくなる。
例えば、インドと国境を接するチン州に暮らすチン民族は、その下部民族として53もの細かい民族を抱えている。さらにシャン民族は、その下に33もの民族があるとされる。つまり、チン民族とシャン民族の2つだけで86下位民族があり、ビルマ国内の多民族を表す64%がこのチン民族とシャン民族で占めることになる。
それに政治的な意図だろうか、ビルマ政府はビルマ最北の村(複数)に住むチベット人の存在を認めていない。また、ザガインのシュエボー近郊に暮らすポルトガル人の子孫「バインジー」と呼ばれる、青や緑の目をした人びとも民族としては認めていない。
ビルマの軍事政権(2011年4月から「民政移管」)は、国内に多くの民族が存在しているとの理由で、軍隊の暴力によった支配を正当化していた。つまり、ビルマは多民族国家であるが故に、それぞれの民族が自治権を求める主張を始めると収集がつかなくなり、国家が分裂してしまう。だから、ある程度の期間は、力による支配が必要だと説明していた。
各地を訪れた際、「バー・ルミョー・レー(あなたは何人ですか?)」という質問に対して、それぞれ、「ビルマ人」、「カレン人」、「シャン人」…と答える人びとがいた。やがて、それらの答えに対して気づいたことがあった。それは、「ムスリム人」と答える人びとがいたことである。
私の意識の中には、「ムスリム」を民族として答える例は、東欧の旧ユーゴスラビアが分裂した際、ボスニア・ヘルツェゴビナを母国とする人とが「ムスリム人」として自らを名乗っていたくらいであった。それが、ここビルマでも「ムスリム人」と自ら名乗る人びとがいたのだ。
ある時、ビルマ第2の都市マンダレーを訪れた。いつものように「あなたは何人?」と聞いた時、「ムスリム」という答える人がいた。その際、私は何の気なしに「バマー、ムスリム?(ビルマに暮らす、ムスリム人?)」て問いかけると、「いいえ、パンディー・ムスリム」と返してきた人がいた。
その後、ビルマ国内を回って、ビルマの「ムスリム人」にも、いくつかのタイプがあることに気づくようになっていった。ビルマ最南端コータウンの町外れ、アンダマン海が目の前に広がる漁村で出会ったのは、「パシュー」と呼ばれるマレー系のムスリム人であった。