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オリンピック公式マスコット
2004年オリンピックの公式マスコットはアテネとフィボスの姉弟キャラクター。古代ギリシャのテラコッタ人形をモチーフに、ギリシャ神話の神の名が付けられている。姉のアテネは開催地アテネの守護神で知恵の女神、弟のフィボスは光と音楽の神アポロンを指す。オリンピック最初のマスコットは1968年のフランス・グルノーブル冬季オリンピックの“シュス”。スキーヤーの形をしたキャラクターで非公式ながら大会のキャラクターとして活躍した。公式マスコットが誕生したのは、1972年のミュンヘンオリンピックで、“ヴァルディ”という名のダックスフント。



ギリシャ
ヨーロッパの南、古代の歴史が今に息づくギリシャ共和国。穏やかな地中海気候、青く澄んだ空と海に白い壁の建物が続く活気溢れる国だ。1年の75%が晴天で降水量も少なく、太陽の恩恵を受けたギリシャの人々は陽気で気さく。国内にはアポロ神殿といった世界遺産にも指定されている古代遺跡、歴史的建造物が点在し、訪れる人の心をかの時代へと巡らせる。



古代オリンピックと近代オリンピック
古代オリンピックは紀元前776年からギリシャの各地で行なわれていた、オリンポスの神々を祀る祭典がその始まりだと言われている。競技者は全て裸で、最初の実施競技は1スタディオン(約191m/ギリシャ神話・全能の神ゼウスの足裏600分)を走る徒競走の1競技のみ。その後競技数が増えるなど古代オリンピックも成長を続け、400年以上もの長い間4年毎に開催されていた。現在知られているオリンピックは、近代オリンピックと呼ばれ、フランスのクーベルタン伯爵が周囲に呼びかけて開かれた1894年6月23日のパリ会議で開催が決定。1896年に第1回オリンピックがアテネで行なわれることになった。第1回大会の実施競技は8競技、43種目で、14ヵ国から選手が参加。女子選手の出場はなく、男子選手のみ参加が認められていた。オリンピック開催が決定された6月23日は、現在『オリンピックデー』となっている。



選手村
オリンピック出場選手やスタッフが大会開催中に滞在する場所として知られている選手村。しかし、近代オリンピック開催当初はまだ選手村はなかった。当初、参加者は大会期間中、CCOG(大会組織委員会)が指定するホテル等に宿泊していた。しかし1924年のパリオリンピックで、参加者が宿泊先を確保出来なかった場合に備え選手村を建設。4人収容の木造コテージが50戸ほど建てられた。その後、選手村の建設はオリンピック開催地にとって当然のこととなり、1947年、オリンピック憲章に「CCOGは選手村を作らなければならない」と規定された。この選手村は寝泊りする施設だけでなく、理容室や各宗教の礼拝堂等があり、報道陣も使用出来る国際棟には、郵便局や銀行も入っている。大食堂では各国料理が食べられるなど、サービス十分。またオリンピック終了後は、分譲住宅として利用される。



オリンピック委員会
オリンピックに参加するには、IOC(国際オリンピック委員会)が承認する、NOC(地域オリンピック委員会)に登録することが必要。日本はスイスと同じく1912年に加入した。最も新しくNOCに登録したのは東ティモールとキリバスの2国で、どちらも2003年。



アマチュアリズムとプロ

かつてのオリンピックを支配していたアマチュアリズム。そのアマチュアリズムを語る時、第5代IOC委員長のアベリー・ブランデージ氏の名は欠かせない。彼は副会長時代の1947年、オリンピック憲章第26条にアマチュア規定を盛り込み、「いかなる報酬も補償ももらってはいけない」とした。しかし時代と共に、ステート・アマ(国が生活の保証をする選手)を輩出する共産圏国と、アマチュア規定によって出場選手を制限せざるを得なかった西側諸国との格差が広がり、キラニン氏が会長を務めた1974年、オリンピック憲章第26条から“アマチュア”の文字が取り除かれた。そして、1986年のローザンヌ総会で、サマランチ会長により第26条の内容が選手の倫理規定に変わり、オリンピックのプロ選手参加へとつながっていった。現在ではバスケットボール男子、テニス、そして野球にサッカーと、プロ選手のオリンピック参加が毎回増えており、世界のトップレベルの戦いを見ようと興行収入も増加。オリンピックはその地位を確固たるものにしつつある。しかし、その一方で勝利至上主義の横行を懸念する声があることも事実だ。
 
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