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インタビューに答えるDoyle氏
美しい言葉で子供達に話し掛けるDoyle氏
子供達の前で動物のなき声をディジュリドゥを使ってまねるDoyle氏 |
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オーストラリアを代表するアボリジナルパフォーマー、Matthew Doyle(マシュー・ドイル)氏。
最年少でNAISDA(The National Aboriginal & Islander Skills Development Association)に入学が許可され、それ以来、ディジュリドゥ演奏者、ダンサー、そしてアボリジナル文化の伝承者として世界各国でパフォーマンスを繰り広げている。アボリジニとアイリッシュの血を引く彼は、シドニーで生まれ育つが、ノーザンテリトリーのアボリジナルファミリーYirrkalaより家族の一員として認められ、自身としてもアボリジナル文化を学びながら、また後進への指導にもあたっている。
(1) 今回、パースには来られた目的を簡単に教えて下さい。
Doyle氏:地元の小学校、約25校を周り、アボリジニの伝統や踊り、ディジュリドゥの演奏など、子供たちにアボリジニの文化を紹介するために来ました。約3週間程の滞在になると思います。
(2) 日本に行かれたばかりだと聞いておりますが?
Doyle氏:6回目の訪日でした。今回は、和太鼓奏者の林英哲氏との共演のための訪日でしたが、最初に日本に行ったのは、今から約12年前のことになります。当時は、政府間の交流プログラムで招待され、浩宮皇太子の前でディジュリドゥを吹いたことを記憶しています。素晴らしい体験でした。
(3) 日本についての感想をお聞かせ下さい。
Doyle氏 :日本人は「尊敬する気持ち」を非常に大切にする国民だと思います。また、流行や時間の流れが非常に早い国といった印象があります。
(4) ご自身がリリースされているCDの中で、特に日本人へお勧めするものは?
Doyle氏:現在6枚のCDをリリースしています。中でも、1994年に尺八演奏者のRiley Lee氏と共演している「Lighting Man」は良いかもしれませんね。
(5) 最年少でNAISDAに入学されていますが、入学の動機を教えて下さい。
Doyle氏:10歳の時にアボリジナル文化に興味をもち、それ以来、オーストラリアの伝統的音楽や踊りについて学んでみたいと思ったからです。もちろん、シドニーで生まれ育った僕にとって、NAISDAがシドニーにあったという地理的状況も幸いして、入学動機の条件にぴったりだったからでしょう。
(6) 入学されたNAISDAで、1990年から教鞭をとられていたとの事ですが、そのNAISDAで最もご自分が生徒に教えたかった事、教えていた事は何ですか。
Doyle氏:約5年間、NAIDTAで生徒としていろんな事を学び、その後2年間、同校で教鞭をとっていました。もちろん、踊りや音楽、ディジュリドゥ等々を教えていましたが、実際、それらのがどのようにして生まれ、アボリジニの間で継承されているかといったアボリジナル文化の背景を理解してもらえるよう教えていました。例えば、折り紙の折り方だけを学んだとしても、それだけで終わってしますよね。なぜそのような折り紙ができたのかを知ることで、初めて本当の折り紙の意味や面白さがわかるのです。それと同じ事でしょうね。
(7) ドイル氏にとって、オーストラリアの先住民文化とは?
Doyle氏: 約4万年もの歴史を持つと言われているアボリジニは、世界でも類を見ない民族だと言えます。例えば言葉1つをとっても、以前は約500もの異なった言語が存在していました。現在は、約150種類の言葉がアボリジニの間で使われています。また、アボリジナル文化において、踊り、音楽、ディジュリドゥ等は、文化伝承手段の一構成要因として存在しており、これらの各構成要因が全て揃って、はじめて一つのものとなり、意味のあるものとなります。たとえその中の一つでも欠けるようなことがあっては、その意味は成立しないのです。そして、全てがそれぞれが意味を持ち、神聖なものとして扱われているのです。私はアーネムランド(ノーザンテリトリー)のエルカラ(Yirrkula)にあるMarika
Familyより家族として迎え入れられ、現在は年に一回、その家族達と一緒に生活しています。もちろん、NAISDAでも多くのことを学びましたが、この家族から学んでいる事はそれ以上に計り知れないものがあります。彼らの間で伝承されている文化は、彼らにとって、一種の宗教感に近いものがあり、誰もがそのアボリジナル文化に接触することはできないのです。もちろん、パフォーマンスも、そのような理由からエルダー(長老)の許可無しでは、基本的に一般の人の前で行われません。
(8) 近年のディジュリドゥ・ブームをどう思われますか。
Doyle氏:ディジュリドゥ演奏者がオーストラリア国内のみならず、世界各国で活躍し始めるようになりました。もちろん、アボリジニを起源とするこの楽器が世界中に広まることは好ましいことですが、伝統的奏法と西洋音楽に影響されコマーシャル化された現代的奏法とは全く違ったものなんです。もちろん伝統的奏法で吹くことは、つまりアーネムランドに行き、アボリジニのエルダーに直接教えてもらわないことには学ぶことはできません。私自身、そのようなコマーシャル化された現代的奏法を否定しようとは全く思いませんが、アボリジナル文化の継承手段の一部であるディジュリドゥの伝統的奏法を私は今後も学び、伝承していきたいと思っています。
(9) 現在はフリーランスで活動されているとの事ですが、主な活動内容を教えて下さい。
Doyle氏:4年前のアトランタオリンピックや今年行われたシドニーオリンピックの閉会式でYothu Yindi(ヨス・インディ)を代表するアボリジニ達が出演し、パフォーマンスを繰り広げたステージをご覧になりましたか。あのステージは、私がデザイン、コーディネートをしました。また、現在はオーストラリア国内を始め、世界中各国でパフォーマンスをし、世界中の人達にアボリジニ文化について少しでも理解を深めてもらえるような活動をしています。今年の1月には、アメリカに行き、ネイティブアメリカンとパフォーマンスのセッションもしてきました。
(10) これからの活動予定、内容を教えて下さい。
Doyle氏:将来は、自分の学校を開きたいと思っています。しかし、実際教えるという事よりも、今は自分でパフォーマンスをする方が好きですね。現在は教鞭を取ることよりも、パフォーマーとして、多くの人にアボリジナル文化の真髄を伝えられると思うからです。もちろん、教授することも平行して行っていますが。
(11) 最後となりますが、Doyle氏は、アイリッシュとアボリジニの血を引き継いでいるとお伺いしています。また、1986年に製作されているご自身のビデオ“My
Spirits is Black"では、アボリジニとしてのご自身が映し出されていると思いますが、実際、ご自分のアイデンティティとは何であると思われますか?
Doyle氏:私のような混血の人は、少しずつの“Bit”とピザ(Pizza)をもじって「Bitzza」と呼ばれているようです(笑)。自分の中にアボリジニの血が流れているからこそ、現在の私がいて、この道(パフォーマー)を選んだともいえますが、もし自分の中にアボリジニの血が流れていなかったとしても、オーストラリアの起源ともいえるアボリジナル文化を学んでいたと思います。なぜならば、オーストラリアで生を受けた私にとって、アボリジニの文化こそが、オーストラリアの文化だからです。
自分の文化を尊重し、誇りを持ちながら、そこに継承されているパフォーマンスをしている彼の姿は、美しくもあり、そして力強くもあった。また、近年アボリジニの聖地であることに尊重して、ウルル(エアーズロック)にあえて登らない観光客が増えていることについて、「素晴らしいことですね。ウルルはアボリジニの聖地ですから、もちろん僕は昇りませんよ」と軽い笑みをこぼしながら話していたDoyle氏の横顔が印象的だった。 |