Vol..118/2007/11
「新たな恐怖がビルマを覆う」

 軍の治安部隊と市民が激しくぶつかった「スーレー通り」と「アノヤタ通り」の交差点に行ってみた。数日前まではその地点を横目に通り過ぎるだけだったが、その日は思い切って、日本人ジャーナリスト長井さんが斃れた現場に立ってみた。すぐ横で商品を広げている露天商も、私の行動を不審がる様子はない。警戒中の兵士たちは路肩や商店の陰に腰を下ろし、物憂げにゆく人を眺めている。その数は約30人ほど。さらにこの日は、兵士たちの息づかいを感じようと、敢えて彼らの真横に近づいてみた。視線を向けると目をそらす兵士が多い。これで全く反対の立場になったわけだ。数日前までは、警戒中の彼らが外国人である私の行動を見つめ、私が彼らの視線を避けて歩いていたからだ。
 40代前半の兵士が、金属製の弁当箱から焼きビーフンをスプーンにすくい上げ、口に運んでいる。「サーローカウンラー?(美味しいかい?)」とビルマ語で声をかけてみた。だが彼は、私をちらりと見ただけで返答しない。中国製だろうか、布製の軍靴が目に入った。


 

 19年ぶりに起こった民主化要求デモは今、すっかり影を潜めてしまった。急速に盛り上がった分、しぼむのも早かった。通りを歩いていて、カバンの中からカメラを出すのもそれほど緊張しなくなった。それでも、観光客がほとんどいない今のビルマでは、外国人の姿は嫌でも目につく。一見平穏が戻った街中であるが、これまでと同じように軍への通報者があちこちにいると思っていた方がよい。ホテルに戻る際にも、当局の監視者が後をつけていないか常に警戒しながら、タクシーを二度三度と乗り換える。
 9月末の夜、同じ日にビルマに入った日本人取材者の宿泊先に軍当局の関係者が訪れ、翌朝の国外退去を告げた。彼の滞在期間はたった2日だった。前日、彼と一緒に行動していた私の緊張は一気に高まった。日本のメディアと契約している地元ビルマ人記者の、少なくとも2名は拘束されたままである。さらに別の、私と面識のある地元記者2名とはいまだに連絡が取れない。

   


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