彼が私達のグループと一緒になって一週間。朝起きると、彼の姿は忽然と消えていた。ああ、そう、彼は私たちにほんの束の間、合流しただけだったのだ。その日の朝早く、自分の村への道を一人で向かったのだ。ほんの短い間の旅の友だった。あまりにも仲間の一員になりすぎていて、彼の存在が自然となっていた。せめて別れ際に「さよなら、元気でね」としっかりと握手をかわしたかった。だが、それはちょっと感傷的すぎるのかな。ガイド氏もポーター達も、消えた彼のことを誰も話題にするわけでもない。当然、彼が自分の村の方に向かって帰って行ったことと理解している。私ひとりが残念に思っているようだ。1ヶ月以上も山歩きをするという自分にとって、毎日が非日常の連続である。それ故、その非日常の中で出会う人々は、強く印象に残る。だが、山の中で暮らすことの多いガイド氏やポーター達にとって、それ程でもないのは当然か。
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一瞬、年齢のいったおじさんの足かと間違えた。日々の苦労を物語るクンシンディーの足。
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山を下りて街に戻ると、それこそありふれた日常が待っていた。ラングーンに戻った数日間は、知らないうちに、山の中での電気のない不便な生活と、本来ならあるべき電気がない都市での不便な生活とを無意識的に比べていた。日常と非日常、ところ変われば感じ方も変わるのだな。それ故、自由な発言が許される自分の生まれ育った母国の生活と、政治的な発言や行動をすることで拘束・投獄されてしまうビルマでの日常を比べることの無意味さをも考えてしまった。
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