パースエクスプレスVol.112 2007年5月号

「ヒマラヤ山系−東の端から(2)」

ビルマの11月〜4月は乾期のはず。なのに、往路の3分の1と復路のほとんどが雨にたたられた。(歩くと)暑いし(立ち止まると)寒いし(雨は)冷たいし。身体の体温調節がうまくいかない。泥に足をとられて転んだことは数え切れない。それに、雨に濡れて滑りやすくなっている橋は、とても危険である。ポーターの一人が一度、川と川の間に渡した丸太の上を歩いていたとき、ツルッと足を滑らせた。「あっ」。だが、すぐ後ろのポーターに上着の襟をつかまれて、なんとか命拾い。大きな石があちこちに出っ張っている川に落ちて流されてしまっていたら、とんでもないことになっていた。山道に慣れたラワンの人でさえも苦労して歩くのだ。  一日で歩く距離は、だいたい9マイル前後。午前中いっぱい歩いて、午後からは休憩、宿泊、というパターンが多い。それほど荷物を持っていない私はもっと歩けるのだが、荷物を担いだポーター達とガイド氏は無理ができない。一人でも動けなくなると、それこそ大変なのだ。ゆっくりでも確実に前に進むのだ。

 

 ビルマは1948年まで英国の植民地であった。大都市である旧首都ラングーン(ヤンゴン)の建物や下水道施設を見ると、その面影がたくさん残っている。また、ここ北ビルマ・カチン州の山奥にもその植民地時代の遺産がいくつかある。その一つが、キリスト教徒が多い、ということ。それに、あまり知られていない置きみやげもある。それは、山の奥深くにところどころ残っている、ロッジ(宿泊施設)だ。  山の中での移動は、徒歩(或いはロバ)しか交通手段がない。そのため一日の移動距離は自ずと限られる。山の中で野宿ということも多々ある。そんなこともあって、村と村の間には、寝泊まりをするためのロッジが用意されているのだ。それらのシステムは英国時代に整備されたそうだ。たいがいは粗末な竹で作った高床式の小屋であるが、雨露をしのぐには十分すぎる。それに、中に入ると、食事の用意をすることができるよう、本格的な囲炉裏もあったりする。大きなロッジになると、中が小部屋で仕切られたり、囲炉裏も5つぐらいあったりして、いくつもの家族の宿泊が同時に重なってもいいようになっている。

   

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