「パサンが若いころからよく口ずさんでいた歌がある。・・・・・。『他人の荷物を担いで、上がり、頂上に出た。ときには川を渡り、時には峠を越え。峰のチョウタラ(休憩所)で一休み』・・・・・。もっとも、パサンが担いだのは他人の荷物ではなくて、自分の家族の荷物だった。10代のころから、パサンはロルパの南に接するダン郡ゴラヒまで家族の食料などを買い出しに行き、75キログラムにもなる荷物を担いで家に戻ったのだと語った。
当時は道路も通っておらず、片道5日から6日かけて、山道を歩いて家に運んだ。こうした苦労が、パサンがマオイストになった動機の源になっていると想像するにことはかたくない。」
これを読んで、ああ、ビルマでも同じだ、という想いが胸一杯に広がった。私自身、1月半ばから2月半ばまで、36日かけてビルマ北部のカチン州の山奥を訪れていたからだ。そこは遠くヒマラヤ山系の東の端に当たる地域でもある。
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今回の山行きの目的は2つ。ビルマ最北の村・最北の家を訪れること。もう1つは、最北の村の近くに住むタロン民族の人びとに会いに行くこと。このタロン民族とは、現在、民族として5〜6人しか残っていないといわれ、東南アジアでも珍しい、背が異常に低いピグミー(この表現は適切かな?)の人びとのことである。あと数人で1つの民族が滅んでしまう。そんなことがこの時代にあり得るのか。それを確認しに行こうと思ったのだ。この計画を実現するため、ガイド1名、ポーター7名を手配することになった。
まさに大名旅行の取材だ。過去15年の取材で、こんなことは(予算的にも)初めてであった。
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